停  滞  前  線

停滞前線

なんだかんだと文句を言っても、日本はいい国である。
日本、就中茨城に生まれ、育ち、大人になった自分は、もしも前世というものがあるとするならば、少しはいい行いをしたんだろうよ。


海もあり湖も川もあり山もあり産業のバランスはとれ大都会に近い、気候は温暖である。そんな環境の中で育ち、三流ではあるけれども、最高学府で遊ばさせてもらって、人並みの下程度、の生活はかろうじて維持している・・・辛うじて、な。



再度辛いことが訪れても、甘んじて享受して何も望まないし、もう望むことはねえだろう・・・




何もせずともやること全てが上手く行く者も、いる。
人は産まれた時からすでに平等では、ない。




戦乱の絶えない国に生まれたり、食べることにも事欠く地域に生まれたり・・・勉強したくっても、努力することを望んでも、その余裕など、ない。
個人の力ではどーしょうもない所に生まれてくる人間も、いるではないか。




これは運命か?


NON、

おそらく運命と宿命とは違うはずだ


運命には偶然的であり、受動的響きを、感じる。
宿命=能動的を感じ、必然なのだろうと・・・
運命と宿命。
どっちも定まっているようなものだが宿命は転換する方法がある気がする。宿命がどのように決定づけられるのかその法則を知り、どうしたら悪い宿命を良い方向へと変えて行けるのだろうか・・・その手段を模索することだろう。でないといつまで経っても宿命に縛られる人生でしかありない感じは、する。


価値ある生き方とは?それは、人が人として尤も尊い行動、生き方をすることかも知れない、と。


自分は決して唯心論者じゃなく、どちららかというと、この体が焼かれれば、魂も同じという考え方を持っていた。てか、魂などはない、細胞のひとつに過ぎない。灰になり、土に帰し次なる者の肥やしになるだろうな、と。



生き方によって過去が解り、死に方によって来世が確認できるか?価値ある生き方をすれば、来世はより良い場所へと生まれ変わるか?その証拠は何もない、あの世から帰って来た人などいやしないしな・・・笑


まぁ・・・なんとなく、そうだろうなの理解は夕焼けに見出す。
明日が素晴らしい天候になる証拠、前日には美しい夕焼けがあるという確たる裏づけがあるのは確かだ。自然現象だけれどね。









そのように死ぬ前とか晩年の姿とかがどうあるか?
太陽が沈む一瞬、一層輝きは、増す。自他ともに認める人生、いい人生を送ることなんだろう、多分ね、たぶん、おそらく。



現在の路上。
親に迷惑をかけている意外は、人には悪いことはしていない。逆にされているが、意に返さない、相手にしない。力に訴える事は愚かだしな。けれどもこれで本当にいいのだろうか?



「本当にこれでいいのだろうか・・・?」



そう、自分自身を知っている、解ってはいたわけだ。



何もしなかったわけでは、ないよ。



何度考えては軌道修正を試みるも、悉く失敗し、



逆に痛い目に会う負のスパイラル。



もはや思考の術も持ってはいないし、矢は折れて


そして尽きた。



だから・・・




変わらない宿命を持った運命の下に産まれた・・・




と結論づける。




そして・・・それを知ってから





死ぬこともさほど怖くなくなった。




よって・・・





力的に強い物、例えば暴力装置(ヤクザ者等)などは、





守るもの、地位、生き甲斐、夢などない自分には




切通用はしない。




宿命を払拭仕切れない、諦めた馬鹿者がここにいる。まぁこれでいい。修正に動くことも面倒になっちまい、もはや夢など持つこともないだろう。




もしも来世があるならば、多分今よりも酷い条件の元に産まれるだろうね。心のどっかで確かに感じていることだ。来世・・・そんなものはあって欲しくない。そう思っているのは死後の世界も輪廻転生などない。恰も熟睡しているような状態が永遠に続くという想像が好ましいし、樹木の細胞の中で己を意識せずに再生するもいいだろうよ。



その方が楽だと今日も酒を飲んでいる自分は、
またひとつ価値のない人生の方へと流されているんだろうね。






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英語がよく解らないが、「元の自分に帰してくれ」との・・・
その一節は読めた。俺は前世は樹だったか?
いつ知ったのか忘れたけれど、実に美しい曲である。

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舞いの家 (1971年)

舞いの家 (1971年)

己の限界を知った男の苦悩が哀しい
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(・∀・)イイネ! ...元気ある
バックにポール・ウェラーザ・ジャムを従えたら・・・