2007-01-01から1年間の記事一覧

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

霧が晴れつつある。 宮村憲兵少尉は気づいた。 田井智音を補足したのは、か細い路地のどこかの商店の小さな倉庫の影だった。 しかし違う。 倉庫どころか、家などひとつもないのだ。 さすがの宮村も眉をピクと動かした。 「宮村少尉、ここは、ここは、・・・…

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

「アメリカは馬鹿ではない。ルーズベルトは病死となっているが、貴様たち 憲兵を中心にしたスパイが暗殺した事を俺たちは知っている。あの国をこれ以上 追い詰めると人類は滅亡するぞ? トルーマンは講和を申し入れているのだ。 白旗を揚げているのだ。そして…

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

すべからし。 雲は一度もおちついてはいない。やわらかき鉛が、龍に化けていた。 風雲急を告げる霙まじりの水戸の坂道。 近づいてきた荷車の筵(むしろ)の中から、三人の軍人が出てきた。 引く農夫の格好をした男も、拳銃を田井智音に向けた。 「田井一馬首相…

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

息が切れる。霙まじりの風が痛い。 心臓が今にも飛び出しそうだ。 死んだほうがましかも知れない・・・ 未知なる鬼が下界で笑っている。 髪の一本一本が抹消神経になっている事を知る。 あるいは恐怖で白くなっているかもしれないが、ちおんは己の顔を鏡で見…

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

欅、ブナ、松、杉などの樹木。 生い茂る草花、岩、石、土。 菊村愛は過去をコンピューターの中で再現するために、界隈に棲む細胞を全て 採取し終えた。 兄、貢とともに捨てられていた茨城県難台山。研究から十年という長い歳月を擁し、いつしか愛も常央大学…

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

空を思い出のスクリーンにする。 様々な形の雲。 父親、母親に似ている雲は、どれか? あれか? おぼろげだ。 喉仏の形、乳房の形。 父よ・・・雷雨の如き強さを教えたまえ。 母よ・・・そこから乳を落として欲しいと願う。 見せてくれ、その顔を・・・。 風! …

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

その石の正体を 付きとめよ。 市島典孝学長 じきじきの 【研究課題】 である。 形が似ている アボガドをヒントに、 直ぐに解明は出来た。 硬さといえ、形色といえ素人目には、 一見石にしか見えない。 石などではなかった。 岩の表面が丸い模様と突起の集ま…

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

本音を言えば 講義どころでは無かった。 山下道則はいつになく 早口で喋っている。 口と心を機用に使い分ける 調子のよい聖職者は居る。 聖職だけではない。社会人、大人 どころか、 子供までが身に纏う。 時としていくつのもの 器用さが無ければ、 生きてい…

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

「水戸南インターまで あと1kです。 左車線に寄って下さい」 カーナビの声が聞こえると、 若い運転手は雑談から離れた。 「予定を少し遅れたが、時間は大丈夫かな?」 バックシートに座る初老の紳士が、 時計を見ながらウィンドウを少し開け、 風を入れた。 …

箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

―――味噌ラーメン 300円なりか。 相変わらず、安いな。 コインを居れ食券を買う。 万札5枚、【3千円札】が1枚。 財布の中には小銭がない。 背後から肩を叩く物がいて、 太田垣英彦は振り向いた。 「グラウンド以外で会うとは珍しいな。今日の講義は、その後の…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

通じない祈りに エドモンド・クライナー・Jは 「Damn it」と 思わず叫んでいた。 画面は真っ黒である。 それはボイジャー1号の 敗北を意味する。 「Is not there the next hand what is ...!!」 握る手の汗。体が熱を帯びて、 頭の中を得体の知れない酔いが疾駆…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

誰しもが考えること、 思うこと。 死んだらどうなるのか、 という事。 己が葬式の日までが、 考える時間である。 長いか短いかは、知らない。 死んだら・・・? まだどうなるのか分からない。だが山口博はその途上の中で様々なものを見た。 ひとつ。死ぬと魂…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

地球の生命の誕生の謎。 そして水とは何か ? ふたつは同義語だ。 水は実に不思議な物質である。 例えばコップの中の氷をみつめる。 氷は水面に浮かび上がる。 同じ体積の水と氷では、氷の方が軽いから 起こる現象だ。 同じ体積で比較した場合、個体のほうが …

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

調整池。 それは集中豪雨により 発生する局地的な出水を 一時的に溜める人工池を 言う。 洪水が起こらないように 調整されていることから、 そう呼ばれている。 樺沢取手のそれは、 楕円のお椀型が左右にあって、 その真ん中に半分程の大きさの円形のお椀型…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

―――俺は幾つに なったのだろう? 動揺するには、 歳を取り過ぎた。 走る斉藤の頭に、 己に対する疑問が 間接的に突き上げる。 人間として完熟 されてはいないが、 それでも何度も修羅場もくぐり、人生の歴史の到達点が ほぼ見えていた。これから苦労はしまい…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

2006年4月30日午前9時。 株式会社樺沢工業所 取手工場四階大会議室。 ため息が紫煙と 混じっている。 咳き込む者も多いのに、 誰もその行為を 辞めようとはしない。 主だった幹部を招集した工場長の斉藤が、 生産現場から慌てて戻ってきた。 工場は一分たり…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

樺沢取手のふたりの社員、 管理課長具円と、 生産管理室主任神岡。 ここまでの告白は内部事情の 暴露というよりも、亡くなった 山口博に捧げる レクイエムであろう。 会社に対する背徳の念は、 一片も駆け抜けなかった。 十二畳の部屋。正面に大掛かりな祭壇…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

草刈御大は 裂きイカをつまみ、 「俺も会社を経営している。 社員150名ほどの 中小企業だがね。企業は人なり。 そう信じて裸一貫でやって 来たよ。 思えば社員には理不尽な事も 云ったろうが、ちゃんとその分は フォローして来たよ。 人を大切にしない会社は…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

「総務とは 広辞苑によれば、 全ての事務を諳んじる事と いうらしいですね。それは 相当な人員が居て初めて 成り立つ解釈です。 馬に乗って馬を探すと云います。 総務の仕事は浅いけれど、 実に広いものです。 垣根などないに等しい仕事ですし、基準値があり…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

ふたつの横顔には、 苔色の濃い影が こびりついている。 仕事という名の他人が 吐いた、粘着的なツバである。 社会とは甘い人間を、 矯正する場でも、ある。 矯正機関は会社など賃金を稼ぐ場所。 ただし市町村役場は除く。 仕事などしていないに等しいからだ…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

小さな葬式を 大きくする。 自殺とは己に負けた みじめな死に方であり、 評価など殆どされない。 例え鬱を 患っていても、だ。 周囲を騒がすみっともない 死に方である。 まだまだの長い時間を切断した、 犬死という名のちっぽけな色無き死だ。 大きく見せる…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

「習志野との練習試合。 これはビデオは 撮っていない?」 「千葉のチームですからね。 夏の県大会には関係ありませ ん。チーム分析の必要は今の所 ないので。もっとも甲子園で戦う 事になったのなら、予選のビデオ などをどこかで借りますがね」 「ま、そう…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

「人間ではない と・・・。 なら何者なのです。 姿形は人間そのもの ではありませんか?」 テーブルに落とした 太田垣の大汗に、 聞き耳を立てたい のか、また一匹の蝿が 止まった。 まだ早いと首を振り、 それには答えず、 「あれはね、雷などじゃないよ。強…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

「ま、那珂川学園の 副理事長として言うの ではなく、あくまで野球馬鹿 の言葉として聞いてくれ、 これはね」 ラークを根元まで吸った森内は、 研究室内の書物を見回すと、 「よく言われる事だが、甲子園には 魔物が住んでいるっちゅうの」 研究ではなく、超…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

超能力、幽霊、UFO、 霊視、予言、占い、 異能力は真実か? まともな学者なら 存在自体が法則を無視する 仮の真実であったとしても、 猜疑心を持ち否定しながらも検証し、 科学的な回答を追求する事であろう。 なかんずく超能力者。 ユリゲラー、エドガーケー…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

梢に芋虫が 上っている。 幼女は何も知らない、 いずれ美しい蝶に変身 する事を。 また自らも美しい少女に、 そして女に脱皮する事を。 「怖い、お母さん!」 幼女は悲鳴を上げると、 公園のベンチに座った母親を めざし、駆け足で逃げてきた。 30度以上あるだ…

箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

水戸市、常央大学。 2006年5月下旬。 太田垣英彦は常央で 教鞭を取りながら、 付属大洗高校野球部の 監督をしている。 海洋生物学太田垣研究室 で森内幸男と雑談を交わしていた。 七・三に綺麗に分けた髪が乱れ 「えっ! 磯前を夏のエースに育てるですってぇ?」…

箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

「変な虫がつかなきゃ いいですね。まともな ファンなら許せもする のだが・・・」 常央大洗野球部監督、 太田垣英彦は、那珂川学園 副理事長で総監督の 森内幸男にそう云うとネット 裏の観戦席を不安そうに 見つめた。 「軍司、白川クラスの高校野球の 達人…

箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

カシュ・・・。 100円ライターを 何度も点けようとする。 可燃性高圧ガスの 残りは見えない。 吸えない煙草にイライラした小糸真里は、 私の恋に似ているな、とライターに呟い て、自販機前のゴミ箱に無造作に捨てた。 男の心を振り向かせようとする灯火。 …

箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

照葉樹が多い。 高木に遮られ 一切陽の届かない場所に 菊村夜太郎はたどりついた。 難台山は照葉樹林帯である。 照葉樹林とは、 森林の形の一種で、 温帯に成立する 常緑広葉樹林の一つの型を 指す言葉である。 構成樹種に葉の表面の照りが強い樹木が多いの…