2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

箱舟が出る港 第七章 二節 激動の波頭 三

貴族が再び 国家の舵取りを する事となった。 第二次近衛文麿内閣である。 近衛は民衆には人気が あったが、 民衆を見つめる眸は、 焦点が定まらないような 憂鬱な男であった。 少年の日、民衆は近衛家の金が乏しくなると、 謙る姿勢を止め、威圧的に変化す…

箱舟が出る港 第七章 二節 激動の波頭 二

三枝は腕を組み、 問題の糸口を 見出そうとする時の癖である、 唇をかみしめている。 「地震が起き、 上空を飛行していた ゼロ戦が消え、 変わりに未来の新聞が舞い降りて来たか・・・? 俄かには信じがたい馬鹿げた話だが、 慎重な君が言う事だ。 確かにそん…

箱舟が出る港 第七章 二節 激動の波頭 一

「まだ知流の 居場所は 分からんのか?」 昭和15年7月22日、 広島県呉市大入沖。 三枝利一海軍大佐は、 部下である知流源吾の 消息を掴めず、苛立っていた。 12センチ広角砲を見つめながら、 野郎にぶちこんでやりたいよ、 と重巡洋艦愛宕の艦橋に 並ぶ矢吹新…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十九

鉛色の空は 近づく梅雨の影響か、 工業都市特有の 煤煙の齎すものなのか、 知流源吾には 判断がつかないでいた。 はっきりとしている事は ひとつだけ、この未知なる石が発言するのは、 梅雨明けのもう少し後になるという事だけである。 季節と煤煙が企みを持…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十八

「取り込み中というより、 これでは強盗じゃなかとね? うん、おはんら?」 狭い列車に長時間乗ったせいか、 源吾は大きく背伸びし、 あ〜と長いアクビが始まった。 アクビはやはり、 伝染するようだ。 幸吉もあ〜と続けた。 クロツネまでが、あ〜と、 体を反ら…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十七

「だからよう、 心理学の院長さんよ。 俺の舎弟が あんなになっちまったのは、 山に関係あるんだぜ。 てめぇのトコは対応が 全くなってねえな。 ゼニで片付けてやろうと、 こっちは優しく提案してるんだよ、 なあ?」 「山と病院は関係ありませんよ」 「何をぬかし…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十六

列車に乗り、 ぶつぶつと 文句を言っていた 大林照恒であったが、 次第に話に興味が 湧いていったようだ。 石岡を過ぎると、 予科練の厳酷なる 時間遵守も忘れ、 腕組みをしたり、 目を瞑ったりと、話しの中 の回答を見い出そうと、頭をフル回転しているよう…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十五

「今筑波から お帰りでありますかっ、 山中中尉殿!!」 大林照恒、 即ち【クロツネ】が、 直立不動で敬礼をした。 僅かにだが手の角度が、 少しばかり斜めである。 はにかんでいる事が分る。 クロツネの後ろに居る 三人の初任兵らしき童顔が、 これもまた同じ格…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十四

常磐線は福島平(たいら)行き、 までの列車の時間が、四十分ほど あった。 二人は土浦駅を一時出ることにした。 駅前正面の二階建ての司デパートから、 軍艦マーチが流れている。 土浦は軍都である。実際予科練は 駅より東に10キロほど離れているが、 七つ…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十三

翌朝、知流源吾と、 山中幸吉は、始発の 筑波線に乗った。 常陸北条駅から、土浦駅を 経由して、常磐線に乗り換え、 日立市まで行く決意をしたのであった。 常陸北条駅で弁当を二つ買い、 空を見上げた源吾は、 曇りの天空にがっかりしたように、 幸吉に呟い…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十二

「三葉虫。 ・・・しかし、 海は恐怖の世界だっぺ。 大洗を見た事があるか? いつだった落ち着いて いない。 洪水を起こしても 川の流れなどは 可愛いもんだ。 海軍にとっても波は敵だな。 垂直方面への あのうねり。太古も今も変らん。 大波、うねり、寄せ波…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十一

夏柳の下には、 紫陽花や草苺、夏草などが、 競うように青い風に吹かれていた。 初夏独特の精子のような青い風の流れは、 青い母親である草花から生み出される。 ここに群青の空があったとしたなら、 誕生とか、喝采とかの名をつけて、 抽象的な絵が描けるな…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十

山中幸吉の実家は、 田井村に遠くない、 新治村藤沢という、 関東鉄道筑波線の止まる 田園地帯の中で、 作り酒屋を営んでいた。 水戸藩の郷士だった祖父は、 1864年天狗党に参加し、筑波山に挙兵する。 やがて藤田小四郎を中心に 関東を中心に大暴れするもの…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 九

「ところで 土浦航空隊の教育はどうかね、 幸吉どん」 源吾の意図を読んだ田井一馬は、 その友の心中を計りにかかった。 源吾は豪放磊落でもあり、 繊細な頭脳の持ち主である。 繊細な頭脳と繊細な精神とは違う。 幸吉は繊細な精神の持ち主であった。 これと決…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 八

「高根沢くん、 君卒業は?」 田井一馬が おちょこを美音に差し出した。 無き夫の話しが出た為か、 娘は伏し目が濃くなった。 「来年です」 知音に勧められ、 政春もおちょこを空にした。 孫娘は母と違い、 そのきらきら光る目が、彼の横顔に 瞬いている。 「就職…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 七

会話にひと息を 入れたのは電話であった。 田井村に 二本しかないうちの 一本である。 「お爺様。 甘粕正彦様からですわ・・・」 電話を取った智音が うんざりした嫌な顔をしている。 「またお前の女優への誘いだな。本人が嫌だと言うのに、しつこい奴だ。 また…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 六 

「そうかい、そうかい。 ま、好きなだけ泊まれば いいよ」 意にかえさない態度で、 縁側で軍人将棋を打っている 田井一馬が、 高根沢をにこりと見上げた。 「ここが、こうなれば・・・ ああっ、やはりダメだっぺ! こりゃ始めれば戦争は負けるな」 「お客のよ…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 五 

「ちょい待てえ。 鍋島云々は 今はどうでも宜しい。 坊主でどうかなる代物なのかィ? 怪しかモンと違うのかい? 大本教の例もあるしのう。 ま、気にさわったら謝り申すが。 学生さんよ、まず 学者にまかせちょったら良い。 おはんは鉱物に長けているようじゃが…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 四

「この石は どこにありましたか?」 学生は切れ長の優しげな目を、 宮司に流した。 恐ろしく澄んだ 瞳であった。 宮司は息を切らしながらも、 慄きつつも、その瞳に懐柔されつつあった。 体が軽い。トンボになった気分になる。 草が若者の眼であった。 「・・・…

箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 三

帰り道の岩をまたぐ二人に、 人がぶつかった。 宮司の装束を身につけている。 宮司が倒れた。 「アレは、アレは!?」 獰猛な犬のように 地面を這っている。 「すまん、すまん。 アレとはなんぞな?」 大柄な源吾が大丈夫かと続け、 宮司の手をとり、 立ち上が…