箱舟が出る港 第六章 二節 装束 十二
「常央大洗は
セーラー服だね。
ブレザーが主流
となった今では、
珍しい。
セーラーの白く薄いスカーフ。
私に羽衣を印象付ける。
紺サージ、胸には白い錨の刺繍だ。
いい装束だね。
・・・錨は、何を表すか知っているかね?」
山中社長は"緑"色の正露丸のような物を、水と一緒に飲み干した。
青い香りがして、何故か真理の心に、感じたこともない心地よい
草原が広がっている。
「・・・いえ、知りませんが?」
コーヒーにシロップを入れて、真理は太ももをきっちりと、隙の無いほどに、
正した。
「信仰の証しを表した讃美歌です。風と激しく波立つ闇夜も、体に碇をおろして
安らぎなさい。つまり、大人になる過渡期には様々な激動がある。揺れがある。
いかに変化があろうと、この世に現れた時の無垢な心を忘れるな・・・と
私なりに解釈はしている。思春期に人は変る。良くも悪くもです。この時期に
人格の基本が完熟されるといっていい。お嬢さん、いや失礼、小糸君。貴女は
ご両親が離婚され、少し白が汚れてしまいましたね?」
コーヒーカップを置いた真理は、遠い目をしている。
行かないでママ、と叫んだ、セピア色のバス停。母は涙を流し、バスの中から、
何度も何度も手を振った。
セーラームーンのピンクの靴を見つめながら、母を乗せたバスを見送ったのは、
あれはいくつの頃だっただろうか・・・。
時は流れ、母の顔がやがて白く薄くなって行く頃、反対に真理の心に煤が住み
着いてしまった。
「小糸くん、お母さんに会って見たいと思うかね? 」
真理はぎょっとした。今心に思ったことを、山中社長に読まれた気がした。
履歴書には母の名は無い。しかし、死亡したのか、離婚したのか、分らない
はずだ。聞かれてもいない。心胆を寒からしめる風が、中山の体から
流れて来た。
「何故それを知っているの? アタシ、気味が悪いわ・・・」
「これが何か分るかね?」
右手のひらを開いた中山は、メモリーチップのような小さなものを、
テーブルに置いた。
「分りません!」
「まあ、そんなに変な顔をしないで欲しい。これは君の心の全てを読んだ機械
だよ。先程面接差し上げた、ロボットの大島と花形のCPUと連動している。
つまりロボットが得た情報が、転送されてここにあるという事だ」
「そんなバカな事が・・・おじさん、おかしいんじゃない?」
「あるんだよ、小糸君。君が思っている程巡行日立は、まぬけな会社では
ないさ。自惚れではなく言おう。世界一小さな大企業だ。君の心を読んだ
ハート2、及び3号の兄貴が、今宇宙にいる。観測衛星やまぐもの名を、
君も聞いた事があるだろう。常央大学が打ち上げたからね。
心【ハート】1号は、やまぐもの司令塔なんだよ。我社の設計製作だ」
「そんなことはどうでもいいわ、ワタシ帰ります!!」
「待ちなさい、真理さん!」
コーヒーを運び、そのまま面接室のソファに座った皆藤奈々が、静かに
口を開いた。
「私の話を聞いてからでも、遅くはないわ」
「何よ、オバサン?」
「話しはまだ終わっていません。お母さんの消息を、真理さんは知らない
でしょう。つらいかも知れない話だけど、これも直ぐ癒えるから聞いて
頂戴。・・・お父さんと離婚した後、自殺したわ。あなたに何故、巡行日立
がこだわるのか、そのわけを教えてあげる」
「えっ!?」
真理はピンクの靴とバス停を再び思い出した。