箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

murasameqtaro2007-09-30

開きかけた
朝顔の鉢が
横倒しになっていた。
土は玄関の前に飛び散り、
青き茎は息吹を送る事なく
蕾の側に無造作に切断さ
れていた。
朝から何人の人間が訪れては
去ったのか解らない。
娘と一緒に育てようとした約束の花は
開く事がなく、他人にとっては喧騒の中、
関係のないただの路傍の花に過ぎなかった。
男物、女物の靴が半々程度に所狭しと山口家の玄関に慌しくと散らばっている。
「・・・妙にいい顔をしてるな・・・」
亡骸になった山口博の朱の未だある顔は、しみじみとそう云う恰幅の良い老人の
言葉通りであり、自殺という苦渋の選択で旅立ったとはとても思えない程の悟り
の境地に達したが如く、やけに穏やかで今にも起き出しそうな感じがする。
龍ヶ崎ニュータウンは文字通り振興住宅街であり、所謂茨城都民が多い。
東京のベッドタウン
都心まで一時間少しの距離にある常磐線佐貫駅を中心とし、大規模な集合住宅
や商業施設、家屋が製造工程を呈し、地ならしから上棟、そして生活の灯りの灯
る物件までと、さながら設計から完成までの図面が放射状に展開していた。
山口は土浦市出身の純粋な茨城県民であった。
祖は土屋氏九万七千石、土浦藩の勘定方の下級武士だったという。
その血筋なのだろう長兄は銀行員、次兄は高校の商業の教師、三兄は税理士に
なっている。
実家は米穀商を営んでいたが、時代の波に押され零落著しく、コンビニ化も立地
条件から敵わず、今では利益を度外視して、年寄り相手の集会所のようになって
いる。
「ボケなくて済むよ」と言うのが両親の口癖であった。
そこそこの県内の進学校から東京の三流大学を出、故郷の土浦に帰らずそのま
中央区に本社のあった中堅ゼネコンの経理部に入社し、長く業務をこなしてい
たが、バブル崩壊により会社更生法を申請した時点で、依願退社をした後
現在の勤務先、いや勤務先だった樺沢工業所取手工場に職を得七年の月日が
流れていた。
古くからの街では無く都心から近いため混沌とした過去を持つ生活アウトロー
競って奔走したが故、近所付き合いは限られていた。
東京での生活も長かったが、訃報を聞いてやって来たのはやはり【茨城県民】
が多かった。
茨城は保守的な土地柄であり、古くからの住民は義理人情に厚いが、この地に
定着しようとするよそ者には冷たい。都会の者は知らぬ存ぜぬ関与せずと地元
民に積極的と溶け込もうとしない傾向もあり、その反発もあるからなのだろ
う。
東京というジャングルは下町だけは許せるが、それ以外は田舎者で膨れ上がっ
た掃き溜めであり、自分の事だけで、人様の事はどうでもよいのだと、この家
のかつての老地主が嘔吐の如く呟いた。
「・・・ヒロっちゃん東京モンに殺されたってとこだな。経営者はあの掃き溜め
から小生意気にも水戸様の地にやってきやがった。工場はいいよ。地元民を採用
してくれるからね。だから、あそこのなぁ・・・社長とやらは俺は嫌いじゃな
かった。だが弟と言うのが・・・アレ、あいつだ・・・副社長とかの変な眼鏡を
かけた光記とか言うキザな野郎だった。ヒロっちゃんの会社の経営者と言うんで
特別に俺の守谷の土地を精一杯勉強させてもらって売ったんだがね。性格悪く意
地きたねえない奴だよ。守谷に住みながら、イバラキの悪口ばかり言ってやがる
ってもっぱらの噂だ。もっとふんだくってやりゃよかったよ。だったら棲むなっ
て、イバラキに来るんじゃねぇってな、こちとらいいてえよ・・・だが文句を言
ってもヒロっちゃんはけえらねえ。・・・悪かったなぁ・・・俺が殺しの片棒を
担いだようで、あんな会社を紹介しちまって。慰めにならないよなぁ、言い訳
にならないよなぁ、許してくれよ、なあ山口よ・・・このケジメは俺がつけて
やる・・・」
大の東京嫌いの草刈吉朗と云う龍ヶ崎市一帯の大地主は、山口博の父親と高校
の同窓であったと同時に樺沢取手の工場敷地の元の持ち主であった。また県議
会の大物でもあり、中央政界にも強い影響力があると言われている。平成の水戸
黄門と自負する知仁雄揃った義理人情に実に実に厚い清廉な老人であった。
その草刈の縁から山口は樺沢取手に職を得たのだ。
干からびた山口の父親が、草刈に肩を抱かれて、倒れかかっていた。