murasameqtaro2010-08-07

電気もないのになぜ光るのか?
光るのになぜ熱がないのだろうか?
子供の頃いつも疑問に思っていた。
でこれも昔の事で忘れたが、より疑問を加速させる授業があった。
『なぜ光るのかは、実際は何も解っていないのです』
そんな馬鹿なはずがない、だって先生ではないか?
先生は全ての物事を知っていてお金を貰う職業だと思っていたし・・・

車で数分の地が源氏蛍の保護地区だった事をつい最近知る。
あれほど子供の頃戯れていたし、そして環境保護と言うかISO 140001
の仕事関係にも携わっていたくせに・・・と馬鹿さ加減を笑ってみた。
姪っ子、その友達を連れて昼間行ってみた。
清流は少し汚れこれは前日のゲリラ雷雨のなせる技。
で恐れていた質問が出た。
『なぜ光るの?月の光がはんしゃするから?』 
『解っていないんだよ』
『なぜ?』
答えに困る。
『大人なのに知らないんだ』笑われる。

看板がある。
夜間お越しの場合は車の乗り入れは禁止です。
なぜ?こんなヘンピな場所に来るのは、車以外ないだろう。
で子供たちに聞いてみた。
『懐中電灯とか車の光を当てると隠れてしまうから。あと音が大きくてもそう』
なんという馬鹿さ加減。昔の事をすっかり忘れてしまったし。
自然を楽しむ余裕のなかった時の流れ・・・

解明されていないという事。
それはこの世の物ではない、と言う事だろうか。
伝えてくる話も死人のものが多い。
また幻想的な光りの舞いは哀しきロードショーでもある。
高い高い空が手を伸ばせば届きそうな幻惑に取られる。
ああ人は死ぬと空へ宇宙へ行くのではあるまいかとも思う。

この子たちは多分、光景を大人になっても忘れないだろう。
将来幸せになる仕草を持ってる。うちわに載せて観察して、
風を送り空に放つ。持ち帰ろうともしない。
その気持ちをいつまでも忘れなければ、清らかな心で生きられるだろう。

それにしてもどうだ、この眩暈は。
俺にとっては、儚い命の象徴でもあったのだ。