祭り(少年の日) 二

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暑い・・・まだ十時か・・・
一輪車を押しながら俺と友人は、疲れたな、と顔を見合わせた。
20歳の夏休み。ある工事現場で土木作業のアルバイトをしていた。
ドリルでコンクリートを削る、セメントを担ぎ乗るはたった一枚の板だけの作業用エレベーター、生コンクリートをシャベルで溝に流す。体力に自身があっても、それは実にきついアルバイトだった。



『あんちゃん 幾つ?』サングラスをかけた鉄筋工が語りかける。本職である。
『大学二年でもう少しで二十歳です』
『へ〜高校生かと思った。ならいいだろ、飲むかい?』
水筒を出しコップについてくれたのは、なんとビールだった。


その前の夏、土浦に小網屋という百貨店があり、その屋上でビアガーデンのウェイターのバイトをした。土浦の七夕前後となると客も大勢になり、ある一定の売上高を超えると大入りと称し、生ビールが出た。本当に酒・・・ビールの味を覚えたのは19歳の夏であった。


で、水筒のビール、そして昼休みといえどアルコール。これには大いに驚いたが、缶ジュースでは乾かす事が不可能な猛暑であり、一気に飲み干す。『やさ男の割には行けるんだね、兄さん』
その鉄筋工は肩に刺青があり、人相は決して良くなく、失礼だが教養もない風情に見えた。雰囲気的に殺気があり、後で感じたがのちに友人になる某君同様、ヤクザ者特有の重い香りがした。
・・・こんな奴らにあんなでっかいビルの基礎が出来るのか?
あらためて発見した職人の顔であった。
確かに設計図は頭脳明晰な人間が書き、構造計算、耐震なども優秀な積算士が書くのだろう。
だが失礼ながら土方の親分風情が、設計図を見て、果たしてあんな難易な鉄筋の組み立てなど出来るのだろうかと、それまで疑問に思っていた。


『俺は北海道から来ていてね・・・橋梁工事やビルの鉄筋なら関東だって誰にも負けんよ』
含蓄のある言葉だった。
そして思い出した事がある。少年の日。あの盆踊りのやぐらをたてた乱暴な男たち。力まかせにやっているんだなあ・・・とあの日思っていたはずだった。

〜続く〜