筑波山戦争 一

筑波山山頂といえば文字通りつくば市に存在する。
しかしその昔山頂の所有をめぐり、
朝鮮半島宜しく領土戦争があった事を知る人は少ないだろう。
何しろ管理人も知らず、偶然文献より見つけたのだから。


江戸時代には山裾から筑波山一帯は御神領であった。
代官様によって山の秩序は守られていたとはいえ、罪人がここへ来れば、
十手持ちを尻目に大きな顔で歩けたし、
博打の類も白昼堂々開帳されたというから、
渡世人達には全く住みよいところだったと思われる。
近隣の笠間生まれは創作上の人物、あんまさんにして
ばくち打ちの、座頭市がいたが、
実在したならきっとのんびり遊んでいたに違いない。



ばくちうつべからず、つみをつくるべからず、おごるべからず、の三戒道
を刻みつけた石碑が北条の筑波山入り口に立っている。
それも御神領の名残りなのだろう。
だが山頂ともなると、何かと代官様の目が光り、ことの他厳しかったようで、
所謂五軒茶屋にしも【朝にのぼり、夕べに下る】【通夜する事ならず】
早い話が、コラ朝登って商売を済ませ、夕方にはさっさと帰れ。山の上では
宿泊するなコラ、というのである。
餅と田楽しか売ることしか出来なかったのもこの頃である。



ところでTX開業以来随分と観光客が来られるようになった筑波山だが、
かつて山頂の境界争いがあった事は知られていない。
筑波町(現つくば市)と真壁町(桜川市)の争いである。


〜続く〜