漫画の読み方

ちばてつや 男たち



え〜報道によると
※「マンガの直木賞」を目指してマンガに精通する書店員らが「その年一番のマンガ」を選ぶ「マンガ大賞2011」(同賞実行委員会主催)の候補作が17日発表され、ハチミツとクローバーで大ヒットを飛ばした羽海野チカさんの3月のライオン、わずか2巻で100万部を発行して話題となった諫山創さんの「進撃の巨人」など13作品がノミネートされた※


3月のライオンなるものは絵柄が好きでなく全く興味がないが、進撃の巨人はストリーを読むとなかなか面白そうだ。まだ新刊の段階であろうし、時間を待ってブックオフで買うことにしようと思う。


そうだ。
漫画といえば東京都の知事さんが青少年条例の表現規制について昨年発言していたな。
あの方の本音をズバズバいう語りには好感を持っていたが、ちょっと首を傾げる条例である。




電車の中で大人が熱心にも漫画を読みふけっている光景が見られるのは、まあ日本だけだと思う。それを嘆いたり、馬鹿にしたりする向きも少なからずあるようだが、自分は漫画を読むことも立派な読書だと考えている。その場合活字本を読むのと同じに、ただ、楽しむだけ、というのもひとつの読み方と思われる。
一方で楽しみながら、同時に、いろいろなことをおのずと考えてしまうような読み方もあるはずだ。勿論理屈抜きで楽しむのが漫画の読み方だろうが、しかし、


言論の自由なきところに漫画はない


という事実を考えれば、理屈抜きで楽しむ漫画も、実は社会や体制のあり方に深いところで繋がっている。
手塚治虫の著書によると、太平洋戦争中の日本からは漫画が消え(国威高揚のプロパガンダ漫画はあった)、旧ロシアにも漫画はなかったというし、北朝鮮の漫画など聞いたことがない。つまり娯楽としての漫画も社会としての産物なのである。
ダ・ビンチのモナリザの微笑み(どこがいいのかちっとも解らない)も、伊藤整のチャタレイ婦人の恋人も、植田まさしコボちゃんも、本宮ひろ志サラリーマン金太郎も、小山ゆうのあずみ2の漫画も、ひとつの記号であると捉えるならば、その記号の意味するものがなんであるのかと読み解こうと努めてみるのも、漫画の読み方のひとつなのである。

あらゆる読書を通じて、高級、な読み方などはありません。

あるのはいろいろな読み方です。ひとつの読み方しか出来ないより、いろいろな読み方が出来るほうが楽しいじゃないか。人は自分の読み方を発見するために、読む。
ひとつひとつのコマが真珠の核のようになって、人を支えることが確かにある事を自分は発見している。



人それぞの読み方。
発見出来ないままに終わってもそれはそれでいいのです。






ちばてつやさんを支持します。

東京都知事さんの太陽の季節は、当時どんな目で見られていたのか。そしてどんな現象を巻き起こしたのか。昭和史に散々載ってますよ。

ちょっとこの人認知症が出てきたのかな、と疑ったりもする。