水戸黄門の終焉

水戸

水戸黄門が今シリーズを最後に、終焉を迎える。
寂しいが時代の趨勢だろうし、仕方が、ない・・・
で、毎度決まったパターンでありながら、
なぜ長く続いたのか、考察してみた。



「控えおろ、バカヤロー、このお方をどなたと心得る!?
ああん、この野郎!!」
「ハハーーーーッ」とくる。
うんうん、そうだね、コレだな。
あっ・・・馬鹿野郎、コノ野郎は言わないなw
北野武さんの格さんなら、ありえたかも。


う〜ん、これも定番の由美かおるさんね・・・
お歳のワリには随分お若く、魅力はあるんだろうけど・・
定番、かげろうお銀の入浴シーンは正直、うーんw
失礼だが、どうでもよろしい、一切興味なしw
降板されて良かったよW
↓こちらの色っぽいおばさんなら別だけどw↓











ハハーーーーッ





瞬時、時の流れを止めることも、あります。


人は終焉に向かって、ますます酷い未曾有の不景気の中と、新しいテクノロジーの使用や新しいソフトフェアなどに順応すべく時間を追いかけるように翻弄されているけれども、時が止まったひとときは、現実社会で感じるイライラ感とか、ストレスをなだめてくれるものだと思う。


単に現実逃避ではないよ。
どんな娯楽であっても、単調で骨が折れる仕事などをしていると、その中でワンパターンの娯楽だけが、以前に居た場所=例えるなら快適で平穏な子宮=へと導いてくれるのだろうな、と考えたりするだけだ。


格さんが葵の代紋を出し、「静まれ、静まれえっ!」
と口にする刹那。
老若とか貧富の差とか地位とかとは
無縁の存在になるわけだ。


テレビドラマではないけれど、小説家のエンベルト・エーコ(記号学者でもある)は、お決まりパターンのある小説について、こう言っている。


「その種の小説の読者は、すでに知っていること、
そして改めて認識したいことを、次々に再発見したがっている。その為に読者は本を買う。
ストーリーというものを発端とする出来事から、
予想もしなかった意外な結末へと
読者を誘うべく展開される出来事。
・・・そう規定するならば、
実は読者が喜びを見出すのは、
そのストーリーとは無縁の部分である。
そういった楽しみというのは、
物語の流れを超越すること、
要するに過去・現在・未来という時間を忘れて
ある一瞬に注目を集めることにある。
その一瞬が読者に愛されるのは、
それがまさにいつものように繰り返されるからである」


なるほどね、そうかも知れない。


まぁ、里見浩太郎の黄門様は、なんとも似合わない。
年寄り役のわりには若々しく、
整った顔立ちだし、第一、前、助さんなのである。
助さんのイメージ強く、コレが拒絶された感じが、ないわけでも
ない。
自分的には黄門様役、イケメンは似合わないと思う
理想像は俳優なら笹野高史さん、泉谷しげる
高橋克実さんなど。
著名人なら、前常総学院高野球部監督の木内幸男さん。








特に木内さんは「がっはっはっ」と高笑いが得意だし、
悪役が「この田舎ジジイめがっ何を申すか!」の通り、
田舎ジジイそのままだからな(失礼しました、尊敬してます)



あ、北野武さんもいいな。
めちゃくちゃな正義像が描かれて、
面白いものになると思うけど・・・




時代は今、瞬時の時の停止も許さないようだね。
だから水戸黄門も終わりになってしまうのだろうな。
こういった番組がひとつずつ無くなるとすれば、
人間の心はいつもめくらめっぽう、規則性なしに
暴走して、
より犯罪性高き荒廃を生むような感じがする・・・






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縁のなかったアップタウン・ガール。
今からでも?♪ピンクスパイダー、あ、もう駄目だぁ〜♪
もうだめだよ・・・遅いわなぁ、困ったな。
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ビリー・ジョエルさん、歳とったなあ。
水戸黄門の頭巾が、実に似合いそうだな。
俺もいずれこうなる、か。

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水戸学の達成と展開 (水戸史学選書)

水戸学の達成と展開 (水戸史学選書)

著者は県立水戸第一高校で長年教鞭をとられ
水戸学を研究されていた方。
私もこれ以外に「水戸学の道統」を蔵書しております。
日本が他国の侵略を受けず、近代国家へと変貌を遂げた源泉は、
尊王攘夷運動の基幹思想である水戸学に起因しているといっても
過言ではないでしょう。

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