受験前のあの頃あの時 

murasameqtaro2013-01-30

十五歳の夏前でしたな。
人並みに受験勉強をやっていたのですが、
性格的にコツコツとやるタイプではないので、
今までの遅れを一気に挽回しようと、集中的にやってました。
まぁここまで勉強なんてのテスト前の一夜漬け、
残った時間は夕方野球、夜は友達の家に行き、
深夜には先輩のTS50CC(ハスラー50、懐かしいw)・・・
原チャリを蛇行させてましたw



まぁ高校くらいは親が納得するトコへ行かなきゃならん・・・
違うかw
親は二の次、今は亡き祖母の願いを適えるために、です。
で、夏休みに入ったとたんに、なぜか気管支炎なるものに
罹患してしまいました。
咳は出るは喉はヒューヒューとなり実に息苦しく、
立っていられない。
熱が相当出たと思いますよ。
泥酔時のように足が地につかず、よれよれ状態になる。
○○○国立病院(現在の独立行政法人国立病院機構)に
運ばれてしまいました。
そしたら即入院。
タバコを吸っていたこともバレてしまいました。
問題はここからであります。
どこに落とし穴があるか、わかったもんではありませんな。
まぁ現代(といってもあれから相当時間経過)医学の盲点?
いや非常識ですかね?



確か15歳になれば内科、の管轄であったはず
その頃のわが母校は坊主頭でしたが、













下の毛は立派に整っていたのに・
・・
なんと入院したのは小児科でありました。
14歳と11ヶ月と何日か。
八月生まれ・・・覚えているのは小児科だったこと。
したがって多分誕生日の10日くらい前、と思います。



まぁその日の治療で嘘のように楽になったんですが、
即入院・・・
そして小児科の近く(隣だったか?)が、
産婦人科であったんですな。
すると・・・昼はもちろん、
夜毎に「痛い」の呻き声があったり・・・
腹を突き出したおっ母さんどもが闊歩したり・・・
夏だったせいか透けそうなマタニティネグリジェ?
姿でうろちょろ・・・
なんだか異世界っていうか、変なもの(失礼)、
もとい、
見てはならん聞いてはならん空間に閉じ込められた気がして、
持っていった苦手な数学の参考書なんて、
一切開きませんでしたな。
おまけに近くにある自衛隊の駐屯地から、
朝も早くからヘリコプターの轟音が聞こえ勉強どころではない。



幸い、誕生日に退院できたんですが、自宅療養も短くなく、
その遅れは年内一杯続き、
祖母には申し訳ないけど第一志望の高校を諦める成績、
となってしまいました。
あん時内科で診てもらえれば・・・これは言い訳ですわ笑。
理由にならず頭が悪かっただけですよ。
けど当時は、なんとか内科医院、の看板を見れば、
石をぶつけたくなったもんです。



というもののあん時は慢性化する恐れがあったとかで、
その後気管支炎には
二年前の四月に軽く罹患した以外なく、
ありがたいなぁ、と思わなきゃいけませんな。
(※次の罹患懸念は、40本吸っているんで肺癌かwww
内緒だけれど・・・
ラッカーシンナー・トルエンもやってたしな)




そして高校になっても相変わらず勉強などせず、
テスト前は麻雀などしていて、いつもの一夜漬け。
正直に・・・卒業はビリから四番目でしたよ
加え遊び過ぎ遅刻早退欠席ばかりで、出席日数足らず
卒業式には出られませんでした。
こっちは出たかったんですが、お前は明日だ、
来るなと言われwww
まぁ一日遅れ、翌日に寂しく、の卒業でしたよ。
母親には「恥かかせて」と怒鳴られ、父親には勘当だ!
と脅され・・・それはそれは・・・
けしからん少年であり、ミジメなもんでしたよ。
そして今でも「まともに卒業出来なかったよな?」
と同窓には言われます。一生言われるでしょ。



余談でした。ええ・・・そういう事で
受験生の皆さん風邪などひきませんように。
それと第一志望に受からなくてもいいじゃないですか。
どこを出たか、より・・・
何が出来るかですよ

東京大学出ても犯罪者になるのもいるし
在学中司法試験に受かってもホームレスになる方もいる。
学歴が全てじゃないですよ。
って三流私大卒の私が言っても説得力がないかも知れませんが、
製造業には学歴などなくっても、
素晴らしい技術(日本の誇るべき金型製作技術など)を持った
方がたくさんいて(特にキャノンさんに多いです)、
給料は大卒院卒の事務方を遥かに凌駕してます。
このような例はいっくらでもあります。



そうだ、小児科の先生、
若かったが名医だったと(名は失念した)、後で聞きました。
定めし
今では著名なお医者様になっているでしょうな。



  ★★★★★★★★★★★★★★★★★★
      【日本国憲法を改正せよ】

国会が始まった。
憲法改正論議があちこちにある。

現行憲法は時限立法である。

占領軍が日本を統括する為に、
暫定的に作った憲法と思っている。
そしてそろそろ時効が来たと思う。


ではどう変わればいいか?
変える必要はない。
日本国独自の欽定憲法があったではないか。
即ち戦前の

大日本帝国憲法を基幹として、

時代に準拠したものを作ればいい。
代わればいい事である。


占領軍の都合で作られた憲法を破棄して、
日本独自の国体を鑑みて、
新たな民主主義憲法を作り上げるべきである。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
半島、特に南の近代化の基礎を作ったのは
紛れもない、大日本帝国である。
にも関わらず、相変わらずの挑発・・・
そもそも、半島など併合せず、ほおっておけば良かったんだ。