甦れ 日本
先の大戦。
沖縄、サイパン島、ガダルカナル島・・・
帝国は圧倒的な海空の敵に囲まれ食べ物や補給を絶たれた。
けれども猛烈な爆撃の中で数ヶ月に渡り、
いわば裸の孤島を守り、圧倒的戦力を持った敵と戦った。
死守という言葉を使いながら。
死んじまえばおしまい負け、死んで守るというのはおかしい。
しかし守り抜くといった最善のために、
己は死に果てるという伝統に向かう。
最悪の死を覚悟してしまえば何でもできる、怖いものなどない。
これを武士道という。
現代。
自分も勿論だか最悪に対する覚悟を忘れ、
一方では最善を期待することも忘れている。
まぁ何もかも十分で便利であり容易たる社会では、
人々にとってあること、満ち足りた生活は当たり前であり、
困難は受け入れ難い。
そうした社会、特にバブルの頃は、
喜びとか感動とか目標とか夢などはなく、
幼稚で愚かなことだった時間ではなかったか?
夢を忘れちまった人々は、歌を忘れたカナリアだろう。
子供でさえ分別を持っていても夢がない
「君は将来何になんの?」
「平凡なサラリーマンになりたい、正社員になりたい」
こんな話を聞いたことがあるが、現代日本への象徴たる言葉だろうか。
今の社会の中枢にいる自分たちにも責任がある。
未来永劫続くと錯覚したバブルの宴の中で
麻痺した日本人の心は長期的な未来設計が出来なかったのだ。
特亜三国はどうでもいいが、
他のアジア諸国の中にはまだ短い鉛筆を使っている子がいるという。
大切に大切に・・・。
日本の子はいろんなキャラや色彩豊かな鉛筆の中から、
なんとなく長い一本を取り上げる。
多くのひとたちはいくら不景気と言っても、
物の洪水の中だ、他の国と比べた場合。
そして心の豊かさ、親切とか丁寧さ、思いやりを忘れてしまった。
何もかもが自分のためにある。
当たり前になった人々は、それが無くなった時を想像しない。
慎ましく勤勉だった歴史がある日本。
己を知っていた日本。
今こそ振り返る時間が来た。
日本をこれ以上沈ませるわけには行かない。
子供さんや学生さんは、今こそ夢を持つ分岐点に来ている。
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朝鮮半島は侵略ではなく、進出。
そして植民地化ではなく併合です。
併合は失敗だった。
従軍慰安婦問題が世界を騒がしておりますが、
結局朝鮮人の発言はでたらめもいいとこです。
↓某掲示板より↓
来日した元慰安婦・吉元玉(キル・ウォノク)さんの経歴&証言
1928年?北朝鮮で生誕
1940年 11歳日本軍によって
満州ハルビンへ強制連行←年齢詐称により7歳に変更?
http://i.imgur.com/9TGGo2r.jpg
※女子挺身隊(勤労奉仕団体)が創設されたのは1943年
1942年 13歳 一時帰国後、再び 中国北部へ強制連行
★貴重な証言
故郷の『朝鮮の村にジープに乗った日本軍』がやってきて誘拐され、
『日本軍のヘリコプター部隊』の基地に連れていかれ、
『クリスマス休暇中の日本兵』にコキ使われるなど
『昭和23年まで』解放されませんでした。
日本兵には毎日のように『ブーツで』けられるなど、イジメられましたが
日本兵たちは全員『8発も連射できるライフル』を持っているので、逃げたくても、
とても逃げきれないと思いました。
『ペニシリンを数週間ごとに』注射されて痛い注射を繰り返しうたれました。
※ジープはアメリカの軍用車両。
※ヘリコプターが飛び始めたのは1950年以降。
※当時の日本軍には「クリスマス休暇」なんてものはありません
※昭和23年には日本軍はアジア各国から撤収して
欧米の旧宗主国が戻ってきてる。
※8発も連射できるライフルって何?
※ペニシリン(碧素)は
日本では終戦間際(1945年5月)に試験製造されたが微量であり
戦地投入には至ってない。
当然ながら当時は「ペニシリン」という呼び方もしていない。
「イ・ヨンスさんのお話を聞く会」の配布資料
http://i.imgur.com/XqKcGgc.jpg
1993年当時のイ・ヨンスの証言内容
http://i.imgur.com/2vt9T1s.jpg
慰安婦強制連行否定発言で公開リンチの上、
土下座させられるソウル大学名誉教授 安秉直(アン・ビョンジク)氏
http://i.imgur.com/an9O8R9.jpg