箱舟が出る港 第二章 一節 波浪 二

平磯海岸と呼ばれている。
コンビ二の駐車場には、沢山の車が止まっていた。
水戸、土浦ナンバーを中心に、品川、練馬、八王子、千葉、野田、習志野
宇都宮、群馬など他県の車輌も多く駐車されていた。
海の家は高いからだ、コンビ二で食べ物や飲料を買う。
殆どが海水浴の車であろう。


駐車スペースが無くうろうろしていたミニバンが、意を決したように
国道に止めた。国道には少なからず車が停車されていたが、カレシは真面目で
小心者でもあった。駐車違反が怖いのだ。ましてやパトカーの咆哮が遠くとは
言え聞こえたときては、あわてて身構えてしまった。
ミニバンから出、心配そうに何度も振り向いたのは、水着姿のカップルの
カレシのほうで、二人は手を繋いで、コンビ二に入って行った。
豹を捩ったデザインのビキニのカノジョはだらしない格好で、尻を振り、
不思議な顔をするカレシに催促していた。
「早く買ってよォ、アイスクリーム・‥食べた後‥抱いてね、車でもいいよ、
わたし‥・すごく欲しいの‥・アイスと同じくらい‥・」
甘えた声で囁いた。
まだバージンで口数少ない、良家に生まれた学生だったはずだ。
清楚な19歳 であったはずだ、化粧などした事もない突然のカノジョの変化に、
カレシは大いに驚いた。
‥・おいおいお前よぉ‥・と言いたくなった。このまま帰ろうかとも思った。
少なくても、他人に見せる姿では、ないのだ。
ビキニからだらしなく陰毛が食み出しているのが見える。
カレシでさえ初めて見たカノジョの陰毛であった。



異常である、恥も外聞もあったものではなかった。何度も指摘したが、
カノジョはうわの空であった。
これ以上窘めるとここで全裸になりかねない雰囲気を、カノジョは
醸し出していた。
酒の飲めない彼だが、思い切ってビールを買おうと思った。
アルコールでも飲まないとやってられない。
やりたい気持ちはいつでもあった。
けれどもこんな形でやってしまっていいのだろうか?
性根が真面目であるカレシは自然に結ばれたい、いつもそう考えていた。
カノジョもそう考えていた、そう、最近までは。
何かがおかしい、狂っていると思った。
カレシは地方公務員。駐車違反しても側クビの条例を持つ市の公人である。
十月の灼熱が悪魔の狂った踊りの演出をしているのか?カレシはまだ、カノジョ
よりもまともであった。
それが男と言うものではあったが、、カレシの局部は大きく
硬く勃起していた。
太陽がそれを卑下しているように、強い光を二人の下半身に当てていた。
カレシはあわてて帽子で局部を隠すようにして、コンビ二に入っていった。
カノジョは相変わらず陰毛をチラチラさせ、カレシに凭れかかった。
よく観れば、コンビニに居た他の女も、当たり前のような顔をして、カノジョと
似たような格好をしていた。



コンビ二の直ぐ左に入母屋造りの家があった。
かつて栄華を誇った時代があったのだろう、このあたりでは相当大きな敷地で
ある。
だが、零落した感は否定出来ない。
雨水の排水の所謂、樋(とい)、は銅製で出来ていたが、所々凹んだり、傷が
ついていた。
手入れはしているが修理はしていない。
零落といっても、経済的な失敗ではない潔い意思で決断した失墜が、きちんと
刈られた草に現れていた。
それはこの家の主の性格か経験によるものが、大きいのであろう。


表札には磯前五平の名が掲げられていた。


「じいちゃん、大丈夫かっ?」
孫の晴海の顔が現れた。
「まあ、座ったらどうだ、晴海」
中腰で語りかけた晴海を見つめ、父親の健一は手を下にした。
母の智美も座っていた。
「じいちゃんは大丈夫だ、熱中症らしい、今は鎮静剤で眠っている‥・
ただな、痴呆症かも知れん」
婿養子の健一は五平の表情をみつめながら、扇子を手にした。
「一度気づいたのは一時間前だ。ところがだ。変な事ばかり言っている。
よく聞け晴海‥‥駆逐艦オオカゼの写真をもって来い‥・
この傷は人間がつけたものじゃない‥・もうひとりのわしがあっち側にいる、
人魚がやって来ている、わしは一度月の裏側に行った、この世界は滅びる、
英霊がそう言っている‥・だいたいこう言う事だ。歳も歳だ・・・
認知症とか痴呆症になってもおかしくは無い。何の事がさっぱり分からん。
英霊は解る、帝国海軍の軍人だったからな。しかしだ、オオカゼでなく、
何度も言うが駆逐艦シマカゼ(島風)なんだ。ここまでは今まで、親父が口癖
のように話していた事だから、まだいい。ところが倒れてから、人間がつけた
傷ではないやら、月とかこの世の滅びなどは親父の生きてきた歴史の中で、
殆ど存在しないSF的発想だ‥・もうひとりのわし、とは何だろう?
なぜそんな突拍子もない事を言い出したのか皆目解らん‥ま、命に別状は
ないらしいから、当面様子をみようぜ、晴海」
うんうんと智美が首を上下させた。
「井上先生もそう言っておられた事だしね、あなたビール飲む?晴海はポカリ
でいいわね 」
「ああ」
健一はネクタイをはずした。今日は早退を会社に連絡してある。
ワイシャツのボタンを開け、扇子から風を流れさせた。
「‥それほんとに見たのかも知れないよ」
天井をみつめじっと父親の説明を聞いていた晴海が呟いた。
ゲホッ!
健一はビールを吐き出した。
「おいおい、馬鹿言うな、お前までがっ!」
「証拠があるんだ、父さん、母さん」