箱舟が出る港 第二章 三節 漂流 一

「日本軍艦全覧」
刊行は昭和四十六年、資料提供、、防衛庁戦史室、監修が白川義明とある。
磯前五平は何度ページ捲ったか解らない。
手垢に塗れたその本は、江戸末期から昭和二十年までの間に造船された
艦船を全て網羅していると言われていた。
コルベット艦、咸臨丸が扉を飾っている。
鈴藤勇次郎の筆による社会科の教科書で見る、所謂アメリカへ初めて渡った
軍艦である。
記念切手にもその雄姿が見て取れる。

五平は第二次大戦中、帝国海軍の中尉であった。
旧制中学を出ると家業の網元を継いでいたが、徴兵され兵学校を経て海軍に
配属されたのである。
一等駆逐艦大風「オオカゼ」。
オオカゼは丙型と呼ばれる島風「シマカゼ」型の駆逐艦であり、当時世界最
高の駆逐艦との誉れ高きフネであった事を覚えている。

連合艦隊はこれよりミッドウェイに向けて出撃する!。なお、わがオオカゼの
任務は敵艦を叩くにあらず!。新型魚雷を持って米国本土に撃ち込む事にあり!!」
艦長である知流源吾海軍大佐の檄を今でも鮮明に覚えている。

しかしだ。
「日本軍艦全覧集」には駆逐艦オオカゼの名が無い。
手元には一枚の写真がある。海軍大演習観艦式に撮った、たった一枚の写真、
知流艦長を中心に総勢400名の軍人がオオカゼとともに写っていた。
これが黒澤、これが白拍子、こいつが荒木田だ、毒島がこれだ....
五平は写真に指をやりながら、戦友の顔を見つめた。
確かに駆逐艦オオカゼは存在したはずだった。
だが、なぜゆえに「日本軍艦全覧」にはない!?

...不思議な事だったのう、戦友よ? あれから六十年....白川義明を始め、
わしは沢山の人に会ったよ、北から南まで日本全国を歩ったよ、本も暇を惜しみ
山ほど読んだ、国立図書館防衛庁にも行った....だがなあ、オオカゼの事を
知っている人物は帝国海軍の生き残りにひとりも居なんだ、文献にもひとつもな
かった....オオカゼなるフネは帝国海軍に存在しなかったとさ....
わしゃあ最後にはキチガイ扱いされたよ。この写真をも持っていった、が、
シマカゼだと行って誰もが見向きもしなんだ。どう言う事だったのかのう.....。
わし達は幽霊かい?
わし達の戦争は何だったのか? わし達は誰だったのか?長年の疑問じゃった。
しかしな、やっと解って来たよ。知流大佐が生きているようだ。オオカゼの全員が
死んでしまったと思っていたがのう。孫が、ある時....先輩らしいが....
知流と言う珍しい名を語ってな、あの大佐の事を思った。
鹿児島に行ってみようと思う。
大佐かどうか解らないが、我が友よ、戦友よ、英霊よ....
近い日に会える気がするなあ....