箱舟が出る港 第三章 一節 カタストロフィの日傘 三

murasameqtaro2006-10-28

「ふむ....」
知流大吾は空と地を
相互に見つめながら
軽い唸りを上げた。
空には羽を生した化け物が
足にベルトを巻きつけたまま
飛んでいく。
地には我が弟が背中を抉られ、
血を流したまま鬼人の如く
ベルトを追っていた。
街路灯が悪魔の光景を演出してる。
幽玄に赤々と二人を照ら
し出していた。
「団長! 弟さん、いいのかっ!!」
動かない知流の肩を再度黒澤が叩いた。
正吾が背中を抉られた時、黒澤は駆け出そうとしたが、
大吾が制止したのである。
家路に向かうはずだった人々は、群集となり自然に常央大応援団
を取り囲み、氷のような冷たく寒い声を持ち上げ、ざわめいている。
恐怖のあまり半分程が腰を抜かしたのだろうか、路上にへなへな
と漂流していた。
あの若い男が倒されたら、次は自分だ...どこからとも知れない
恐怖が湧き、本能が助けを応援団に求めているようだった。
「学生さんたちっ、助けなくていいのかっ!?」
鉢巻をした魚屋の親父が、額に油汗を流し店の奥から喚いている。
「追え、強いあんちゃん達、追えっ!!化け物を捕まえろっ!!」
魚屋に同調するように、一帯は次々と檄を送った。
何がどうしたのかは分からないが、人間が羽を突出させ、
もうひとりの人間と戦い、闇の中へ消え去る奇怪な光景を見
たのは確かなのだ。
化け物に対抗出来るのは、強靭な体躯をもった巨漢揃いの、
この若い集団だけだろうと群集の一致するところであった。
およそ三百メートル先は街路灯が少ないのであろう、殆ど闇である。
闇に消えようとする上下の影を見つめながら、大吾が振り向いた。
「ああ、心配は無用だ。ただでは殺られないだろう。万が一に
殺られたとしても、そこまでがヤツの運命だったと言うことさ...
それよりも聡....こっちも片付けねばならない事があるぞ...」
大吾はかすかに微笑みながら、集結、と鋭い声で幹部に呼びか
けた。
正吾を追うつもりで五六歩走り出した、白拍子、毒島、荒木田が
慌てて大吾の元に集結した。
「一般のみなさんっ、出来るだけ早く遠くへ逃げて下さい!!
三回生までは皆さんを護衛しながら、ただちに解散せよ! 
四年のみ残れ! そして魚屋さん、失礼な話ですが、腐った魚が
あったら大至急欲しいのですが!?」
大吾が一喝を放った。
「...腐った魚って...そりぁ...あるけど...どうするんだ..学生さん?...」
魚屋が泣きそうな顔で、弱弱しく大吾を見つめた。
うちにはそんなものはねえょ!!
通常であればそう怒鳴りつけたはずだった。
「誘きよせる。ここは危険だ、人が多すぎる。まだ、一匹、
大きいのが居る!!
さっきのヤツよりも強いようだ、このままでは死人が山ほど出る。
凶暴なヤツが潜んでいる!!時間がない」



標高876メートル。茨城県筑波山、中央部山頂付近。
峠茶屋の主人は店じまいの最中であった。
TXの開業以来、多忙な日を送っていた。
最後の客を送り出すと、主人は眼下に広がる関東平野を見つ
めながら、トントンと腰を叩いた。
函館や神戸にゃ負けるが、この風景もまんざらではないな、
と悦に入り缶コーヒーを開けた。
長い長い灼熱の異常な「夏」である。
下界の人々には申し訳ないが、稼ぎ時だ....
と、呟いた瞬間にドーンと大音響が炸裂し、左手に聳える男体山
方面から火が上がった。
何だ何だと主人は腰を抜かした。
見知りの筑波山鋼索鉄道の社員や、隣接する峠茶屋の経営者達、
下山の最中だった観光客が、見晴らしのいい主人の店の前に集
まって来た。
筑波山は男体、女体の双峰で形成されている神宿る山である。
その男体方向から、真っ赤な火が大きく上がっていた。
「テロかっ?」
「バカ言え、山を破壊するテロなどいるもんか」
「じゃあ何だと...」
次に小刻みな揺れがじわじわとやって来た。


筑波山地震観測所。
峠茶屋から、男体へ約五百メートルの距離にあった。
震源地は?」
主任研究員がパソコンを覗く部下に目をやった。
「....こんな、バカな...初期微動が...真下です。筑波山麓地下
三キロ.... 」
「...何だと、そんな事はあり得ない!!」
「しかし、しかし、これは、ああ...第二波が、来ますっ、
推定マグニチュード8!!」
同時に強烈な揺れが襲って来た。
観測所は一瞬の内に壊滅した。

男体山から火が上がっている。
それは火山活動であった。
火山でない筑波山が、突如として火山活動を始めたのだった。

ドン!!

山全体が大きな生き物のように動いていた。

ドン!!

ギャーーーッ
峠茶屋前に集まった人々は、深い深いクレパスの中に
落ちて行った 。