箱舟が出る港 第三章 一節 カタストロフィの日傘 七

唯根鉄男やまぐも艦長は、メインディスプレイを見ていた。
艦体下弦の格納庫である。
銀色のカタパルトが漆黒の闇のなかに、かすかな唸りを上げて広がっていた。
青い地球が多少の揺れに比例して、震えている。


ツン....


着陸小型宇宙船艦「ときわ」は今カタパルトに乗り、中から、青い
二条の光が、眼下に広がるあばたの月世界の表側を長くレーザー
のように投射していた。
戦闘ロボットウルフ16000の双眸に光りが宿ったのである。
アルフォンサスクレターの中央付近に三角錐を横においたような
岩石がサブディスプレイに映し出されていた。
皮被りの女体のクリトリスのような形状であり、黒く翳った部分は
その入り口と思われる。ここに異常な光りが確認されてから、一部の
人類は調査そして研究を進め、地下十キロに広大な海のある事を確認
していた。
やまぐものイオン粒子レントゲンスキャナーは、その中にある「大陸」を
もスキャンした。
ピラミッド型の突起物も、都市としか思えない秩序ある幾何学的な形状
をも確認し、知的生命体が存在する事も確認したのである。
尤も、これらは意図してやまぐも自らの手で発見したわけではない。
月に何者かがいる。NASA職員の中には歴史的な伝説はあったが、
幻に過ぎず、現実たる背景が現れたのである。



2004年10月。
NASAは宇宙からある通信を傍受した。それは、ある意味では懐かしい
ものだった。
イオニア10号。
ボイジャー1号、2号。
まぎれもなく彼らが昔打ち上げた無人宇宙船であった。
イオニア10号は1972年3月に打ち上げられた探査機である。
1973年12月からの木星探査を経てさらに太陽系の旅を続け、
1983年には冥王星軌道より遠いところまで到達した。、
木星の放射帯や磁場の探査など21か月間の運用を計画していたが、
結果的には1997年3月まで25年にわたって科学的な調査を続け、
その後はデータ通信の実験に使われていたのである。
その時地球から120億km以上も離れたところにあった。
カールセーガン博士の発想により、パイオニア10号には太陽系や人の
姿を描いた金のプレートが積まれていた。
このプレートがいつか地球外の知的生命体へのメッセージとして解読
される日が来るかもしれないと...。
:その頃、おうし座のアルデバランの方へ向かい、メッセージを届ける
使者として宇宙を静かに漂い続けるということではあった。
一方ボイジャー、は1977年に打ち上げた無人惑星探査機である。
2機とも仕様はほぼ同じであった。
金メッキされたレコードボイジャーには「地球の音 というタイトルの
金メッキされていた。
これも、ボイジャーが太陽系を離れて他の恒星系へと向かうので、
その恒星系の惑星に住むと思われる地球外知的生命体によって
発見され、解読されることを想定して、彼らへのメッセージとして積み
込まれたものである。
その時まで奇跡のように1号・2号ともに稼働していたのである...。



メッセージを解読したものが宇宙に居た。
何者かはわからない。
メッセージをアレンジ、デジタル化して反対に地球に送りつけて来たの
である。
イオニアボイジャーに乗せた人の姿。
男女の裸体。
男体のみが、ジグソーパズルのように幾何学的に分離され、
女の姿は消えていた。
分解された男体を復元する作業の中で、驚くべきものが現れた。
裸の男性が右手を挙げ挨拶している過去の姿は無かった。
打ち上げ時三機に搭載されたプレートには、地球の位置を刻みこんでいた。
羽らしきものが出現した。
合成の中で左の羽が、宇宙空間からのみ確認出来る巨大な魚の地上絵
を指していた。日本の関東平野水戸市頭として栃木、千葉、埼玉、尾は
東京に存在していた。
丁度ウナギのように迂回するようなくねくねと、曲がった魚の形だった。
右の羽がこれも刻まれている月の表側を指していた。
羽が出現した後、昆虫のような複眼が現れた。
間をおかず全体像が復元された時、NASAは驚愕した。
全くの蝿の形ではあるが、手足が異常に長い。
二メートル前後と推測された。尤もそれは「長さ」であり、
後ろの二本の足で立ったとし
たならば四メートルと推測された。つまり手足も二メートルの長さであった。
手が地球と月を握りつぶす動きをした瞬間、三機が壊滅される音を聞いた。
布石としての事実、そこまでを唯根は知らされていた。



月の表側に宇宙からやってきた彼らが基地を築いたのは間違いなかった。
クレーターの周りを小さな飛行体が飛び回っている姿を何度も見、
録画している。
さらには直径十メートルほどの銀色の円形の物体が、今度は月の裏側
から現れ、地球へ降りていたのを確認している。
レーダー追跡によると、太平洋大洗沖、大西洋アゾレス諸島付近であった。
唯根は確信した。
月には人間以外の二つの生命体が存在する事を。
そのひとつは、地球侵略の為に飛来した事を。蝿の化け物であった。
エリア51にその死体が存在していたのである。
カナダの格闘家がロッキー山脈で山篭りの修行をしていた。
当時世界一強いと言われた空手家であった。
日本びいきの彼は国宝級の名刀をも携えての修行であった。
ある日異様な匂いがテント付近に充満した。
それは動物と人間の腐った死体であったのである。
何十とも知れぬ死体は次々と漆黒の空から、落ちてきた。
危険を感じた彼はテントを出、大木の陰に隠れた。
すると空から鳥のような影がふわりと降りて来た。
目をこらして見ると、鳥などではなかった。
蝿としか思えない大きな異様な生物であった。
生物は死体に近づくと、口らしき部分から紫色の舌を出した。
舌は鋭利なのだろう、造作なく人間の頭蓋骨を破壊した。
飛び散った脳を舌が捕らえ、口の中に運んでいった。
次に生物の背中が割れた。
幾千、幾万とも知れぬ小さな生物が背中から出、空間を埋めた。
死体に群がった。
そして数分もかからない時間の中で、死体は骨と化したのである。
小さな生物は天に昇った。雲を突き抜け、宇宙へ飛んで行く。
格闘家の脳裏に直感が走った。
...このままではとんでもない事が起こる。
なんとしても化け物を退治しなければならない。
二メートル を超える巨躯が大木から躍り出た。
化け物が振り向いた。
バレーボール程の緑の眼が爛々と不気味に輝いている。
格闘家に恐怖は無かった。熊をも倒す正拳の持ち主である。
その緑の眼をめがけて、彼の回し蹴りがいい角度で入った。
しかし、柔らかいゴムのような感触が伝わり、彼は吹っ飛んでしまった。
ふらふらと立ち上がった彼に、枝のような黒い手が掴もうと迫って来た。
手で振り払おうとしたが、指が二本切断された。
カミソリのような鋭い化け物の手であった。