箱舟が出る港 第三章 二節 箱舟が出る港 四

チューブ状の細いものが無数にあった。
くねくねと交差しては互いが波打ち、
恰も何かを形作る意思を持つパーツのようであった。
幾何学的な模様、蜘蛛の巣のような形が赤く刻印され、
チューブの中にも意を異にする、さらにより細いチューブが
抱擁されているようであった。
おのおのの考え、役目が違っても、ここにひとつの法則が存在し、
些細などこが壊れても、全体に多大なる影響を与える事を
ドクドクと波打つ混じり気のない旋律が、
約束しているように聞こえた。
チューブは基本的に仄かなる頬月の色彩に似ていたが、
波打つ旋律=脈のような抑揚の変化に連動したかの如く
濃淡を変化させていた。
大きな脈が来る時に、それはより朱に染まった。
決まって何かがやって来る、そんな気配の時間であった。

チューブは他のチューブを透過出来た。
今、己が包まれた中に最も隣接するチューブが
スプーン上のゼリーのように大きく震えた。
その中に墨絵のような淡い影が現れた。
影は形を整えるように上下左右に流れては固まり、
やがて物体を作り上げた。
...犬であった。
いやかつて犬と呼ばれていた生命体であった。

片方の目玉が、か細い視神経に縋る様にぶら下り、
口からは大量の血が流れ、頭蓋骨は半分陥没し、
脳漿を顔中に飛び散らし、手足は皮膚のみであった。
おそらく車に撥ねられたものと思われる。
....キャン..
.か細く泣いている。
生きていられる姿ではなかったが、泣いていた。
それはここに居て見た物、全てに言える事であった。


踏み潰された雑草が頭を擡げ、首のない豚がのろのろ
と動き、切り裂かれた樹が風を鳴らし、人間と言えば
同じく五体満足の者は僅かであった。
血に染まった内臓を曝け出し呻いている若い女
全身斑点だらけの赤ん坊、手首から血が噴水の如く
流れている初老の紳士、首にロープを付けたまま
笑っている少女、足、手、内臓、目と言った単独のみ
のパーツは山ほどあった。
...ここは、どこか?
鬼頭堅次警部は己の心臓に手を添え、
この不思議な空間を見つめていた。