箱舟が出る港 第四章 二節 戦い 十四

長袖のTシャツを肩まで引っ張り上げた。
野球のボール程の大きさの石を拾って、力の限りぶん投げた。
その作業を、何度となく、繰り返した。
台風の過ぎた後の空は、何処までも何処までも青かった。
いや、台風ではない、風とセットされた、雨が伴わない嵐だったのだ。
大風であった。
暴威が去った後には、 青の上にさらなる青が重なったような、
濃い空が残った。



石は風を切り裂き、稀に見る高さへと登りつめ、さながら近眼の
人ならば、見追う事は不可能とも思われた。
約250メートルは飛んでいるはずである。
また、どんなに高く投じようと、どんな角度をつけようが、放物線を描き、
石ころは決まって、三メートルほど先の薄い波間に、寸分狂わず見事に
ドボと落ちた。
それは石ころを投じる者の卓越した技術などではない。
おそらくは、誰が投じても同じ結果になろう。
未開地で使うという、ブーメランなどの比ではなく、約束の地へと帰ってくる。
石ころに、意思があるのだろうか?
投じる少年は、友人の鴨川真一のキャッチャーミットを思い出した。
剛球にして稀に見る精密機械、そう評される少年から繰り出される硬球は
、構えたミットに寸分狂わず、吸い込まれる。
【球は刃、ミットは磁石】スポーツ関係のマスコミが16歳の少年に賛辞を送る。
直球であれ、スライダーであれ、人の眼には寸分狂い無く、決まると見える。
だが超感度カメラを持って、その軌道と到達点を計るとするならば、
ミリ単位での狂いが生じている事を、少年は知っていた。
少年の経験と感性は、空と地に新しい約束事が出来た事を察知した。
雲壌の一致であった。
もう少し学年が登れば、重力場、磁場という考えを、新たに模索出来る現象
であった。



太平洋に注ぎ込む、常陸那珂川河口は、連日の猛暑に呼応して、もはや
底が見え始めていた。
例年ならばシーバスを狙う釣り師で賑わう、この好ポイントには誰も居ない...。
魚たちは何処に行ったのかと、磯前晴海は落ちた石ころを拾った。
ジーンズの裾が濡れた。
那珂川を棲家とする淡水魚は鮒を先頭に山ほどいた。
絶滅近しと言われ、近年釣り上げる事が難易になった、タナゴも大群で
生息していた。
未曾有な干抜なのだから、干上がった魚が腐臭を放ってなければいけない。
それが、ひとつもない....。
遠く東の対岸あたりの上空に歓喜が流れていた。
十月も半ばを過ぎたはずが、海水浴客の賑わいであった。




その数日前対岸付近では、原因不明の死体が骨となって多数転がってた
という。新聞、テレビ、ラジオ等ありとあらゆるメディアが連日のように、大洗
を登場させていた。
メディアはネタに困る事は全く無かった。
NHK教育テレビさえ大幅に時間を割いている。
晴海の通う学校の兄貴分である常央大学から赤子が消えたのが深夜。
骨が見つかったのが、未明。
さらには火山ではない筑波山が噴火したのが、その日の夜。
加えキャンプデービットを警護するアメリ海兵隊、SP、CIAの全滅と、
消息を絶った高根沢首相とアンダーソン大統領。
茨城県を中心に日本では、不可解な出来事が、導火線のように各地に広がって
いる。
九十九里白子、房総小湊、御前崎、伊勢阿漕浦、潮岬、徳島海南....。
この付近でも生まれたばかりの子供が消え、
おそらくは海水浴客とも思われる死体が、骨となって海岸を中心に、ころがっ
ていたという。 黒い 連鎖を呼んでいる。
その鎖は地球文明のあらゆる英知さえ、遥かに凌駕し、学問などは無に帰した。
もっともらしい顔をした文化人などが一連の現象の謎解きを試みるが、
説得力ある推論は、ひとつもなかった。
それはそうだろうと、晴海は軽く石を捨てた。
....この僕だって未だ分らない。選ばれた僕だって....
心解出来ぬ現実、それは肩から肘にかけての中央あたりまで覆う鱗であった。
魚が持つそれをTシャツに戻すと、一人の男が遠くから近づいてきた。
....腕を見られたか、ウロコを見られたか....
そう思ったが男は後ろ見たり、左右に首を振ったりと、この辺りの風情を、駘蕩
と楽しんでいるようだった。
....大丈夫だ。あの【おじさん】だ。
晴海は知らないふりを決めた。
....そのうち声をかけてくるだろう




【おじさん】は風変わりな人物であった。
長めのリーゼントヘアで高い鼻、意思の強そうな二重の眸、奥歯を噛み締め
るような左右不揃いな、薄い唇を持つ。全体的に頑健で、柔道でもやりそう
な男であった。年のころ30〜35歳だろうと、晴海も思った。
おじさんが、そこ、で小さな居酒屋を開業したのは、十日前だと言う。
こんな場所で居酒屋を開業しても、儲からない事は地元民ならば誰でも
知っている。
今や街の繁栄のシンボルたるコンビニまで、なんと車で25分は掛かる、
幹線道路から大いに外れた、釣り地なのだ。
釣行の帰り、酔っ払って帰るばかは居ない。
集落も点々としている川の先っぷちなのだ。
居酒屋を経営する土地、場所ではない、また男でもない。
何者なのかと、界隈を行く地元民の間で、一時期評判になった。




大洗マリンロードはかつて暴走族のメッカであった。
道交法の改正を期に、今でこそ鳴りは縮小したが、土日の夜はそれでも爆音
は絶えなかった。
マフラーに穴を開けた単車、車体を支えるスプリングをひとつふたつ切断した
シャコタン四輪。風邪も患ってないのに、マスクである。
アナクロニズムも甚だしいバカ者共は、ここが田舎である事を象徴していた。
「居酒屋、赤ちょうちんだってよ」
「けっ、だせえ名前だぜ。センスがねえなぁ、あたりめえの名前だぜ」
「飲んでやるか、ゼニは勿論払わねえ。飲んで食ってずらかるぞ」
「大丈夫かよ、おい?」
「なあに、こんなちびた飲み屋の親父なら、たいした事はあるめえよ。
ホームレスみたいなもんさ。オヤジ刈りの要領でやりゃ、いいさ」
少年院にぶち込まれたバカ者をリーダーとして、無頼の徒、暴走族東関東連合
猟鬼なる十名が三日前に居酒屋へ訪れたのである。