箱舟が出る港 第四章 二節 戦い 十五

「邪魔するぜ、おっさん!」
強者の周りをウロウロし、喧嘩が弱い癖に、いつの間にかちゃっかりと自分を
アピールしているという狡猾な目が、おじさん、を睨み振り返ると、おい、と仲間を
手招きした。大人になって改心すれば、商才を発揮するタイプである。
「ひぇっ、きったねえトコだな、女も居やしねえぜ」
頭(ヘッド)、であろう大柄な少年が、サングラスを外し、のっそりと店に入った。
左頬に刀傷が見られた。両手を大げさに振り、首を少し曲げ顎を突き出し、上目
使いで物を見ながら歩く格好は、後百年たっても変らないだろうと思わせる世を
拗ねた者特有の、不文律があるようであった。
「ダメだぜ、カウンターにふたり、座敷が八人だ、狭い店だぜ。で、10入れ、残り
は外で宴会だ。酒つまみはここから運ばせる」
30センチ程の高さで、おじさんの頭部がカウンターの上に出ていた。
.....チビたオヤジだぜ.....
族のヘッドは、どっしりとカウンターのイスに座った。
仲間が罵言を発しながら、与太って店内を埋めた。



「いらっしゃい、ご注文は?」
おじさんは無頼の徒に目もくれず、下を向いている。
どうやら本を読んでいるようでもあった。
「とりあえず、生大 32杯だ。大至急くれよ」
カウンターに座ったサブヘッドが、アルミの灰皿を取り、爪でカンカンと叩いた。
「32杯ですね。お仲間がお外にいらっしゃると言う事ですか。今日は忙しいので
割増金を頂く事になりますが、宜しいですか?」
おじさんは相変わらず不良共に目をくれない。仏像のように微動だにしない。
本か何かに集中しているようだった。
「忙しいって、マスターさんよ、俺達以外誰もいねえじゃねえか? で割増金って
しゃらくさいモンはいくらだ、ああ?」
立ち上がったサブが仲間を振り返り、指を頭の上で回した。
....くるくるだぜ、このオヤジと。
不良共がドッと笑った。
「割増金はゼロです。お金はいらないと言う事」
「何だってぇ!!」
ヘッドは素っ頓狂な声を出し、ゲラゲラと笑った。
「なあ、マスターさんよ。あんたちょっとおかしいンと違うか? こんな人気のない
場所に店など出しやがって。おまけにタダだと? ま、俺たちぁ、飲めればいいの
よ。さあ、出しなよ。つまみは新鮮な魚だ、刺身にしろ、魚なら何でもいいぜ」
あいよ、とおじさんは海底から登る深海魚のように、ふわりと初めて頭を上げた。
艶のある濃いリーゼントが光ったり、立ち上がった。



....うっ?
....このオヤジは.....


ヘッドは、微かな戦慄を覚えた。
チビ助と見えたが、意外に長身なのである。
180はゆうに超えていると見えた。
調理場に穴でも掘り、イスに腰掛けていたようだった。
これは後に分った事であるが、事実おじさんは穴を掘っていたのだった....。




年齢的に十代の若者にとってはオヤジなのだろうが、全身から鋼鉄のバネの
ような膂力が出ていた。
「はいよ、まず一丁、魚も一匹お上がりだ」
カウンター越しに大ジョッキと魚をドンとヘッドの前に置いた。
これは.....!!
その時、巨漢が唸った。
大きなタコが8個ほどいた。
魚介類の蛸ではない、オヤジの拳に宿った大ダコであった。
...あれは.....空手だ....空手ダコだ....
うう、とリーダーは呻くとジョッキと魚を纏めて喉に押し込んだ。
刹那ヘッドの手からジョッキが離れ、ガシャンと音をたてた。
間をおかずに、口に入れたビールと魚を、げえ、と吐き出した。
グェッ、ゴホンゴホンと咳き込んだ。
それを見た仲間が一斉に立ち上がった。



「何だこりゃ、オヤジっ!?」
サブが流れた液体と肉を手にとり、匂いをかんだ。
「しょ....ションベンじゃねえか!?」
なんだと、と仲間が驚いた。
ゆっくりと立ち上がったヘッドの顔は鬼のように真っ赤に燃えていた。
懐からナイフを出した。
「説明しろよオヤジ!! ションベンなど飲ませやがって、この野郎!!
なんのつもりだ、魚はなんだ? 腐っていやがったぜ!! てめえ、殺すぜ!!」
「ションベンか...腐っているか。そいつも見抜けなかったまぬけは心底
より腐っていると見える...? さっきたれた俺のションベンと、死後二日の
ブラックバスのお刺身のお味はどうだったかね?」
「てててててて、てめえ、こら、なっ...何者だぁ!?」
「気絶前のお土産として教えよう。これも教育だ。常央大学応援団OB、
第45代団長、空手の立花と言う。今は常央の講師さ。お前ら不良ややくざ
の世界では名の通っている知流、毒島、黒澤、白拍子、荒木田の先輩だよ。
お前ら族の先輩の、笹島京平も良く知っている男だよ。さ、覚悟はいいかね?
まとめてかかってくるなら、それも良し」