箱舟が出る港 第六章 一節 残照 六

murasameqtaro2007-03-25

水戸市千波町。
伏見実は、
偕楽園に近い
千波湖に隣接した
駐車場に止めた
ランドクルーザーの中で、
朝から夜叉の如く
ビールを飲んでいた。
何度とも知れない電話や
メールが常央から入ったが、
鬱陶しさも相俟って、仙波湖に
携帯をぶん投げてしまった。
どうせ独身の身であり、実家は兄が継いでいる。
水戸駅前で理不尽にも警察に捕まり、機を見てずらかってから、二週間になる。
信頼出来る友達、常央大講師立花龍一のところに身を寄せようと思ったが、
わが身に何の嫌疑がかかったのかを徹底的に調べ、あの、お巡り野郎の顔に
ツバを吐くまで一人で戦う決意をしていた。
一時間の割り増し賃金の件で逮捕する事は、尋常ではない。
別件逮捕は間違いないが、他に俺が何をしたと言うのか?
どういう訳かその後、指名手配の写真とかの影のような追及の気配がない。
ランドクルーザーは目立つのだ。
やはり警察も誤認と認めたのか思ったが、まだ安心はしていられなかった。
例え誤認であっても、警察を相手に、徹底的にお礼参りはやってやる!!
能無し警察官の非を天下にさらしてくれる。
その為には、身に降りかかった、濡れ衣、嫌疑とやらを追求しねばならぬ。
伏見のプライドは高い。



元、航空自衛隊の三等空佐、昔で言えば小佐であるようだ。
空将、空将補、一、二等空佐の下、組織の順列から言えば、中隊長格である。
支援戦闘機に乗っていた分には良かったが、航空総体司令部に転属になり、
自衛隊を辞めた。前線が好きだったのだ。
また専守防衛を貫く、自衛隊という縦割り組織に、嫌気もさしていた事は
確かだった。
オモチャ、恰も張子の兵隊、などにもはや未練はなかった。
耐え難いスロープの先に、故郷の茨城に帰り、退職金を元に少林寺拳法
道場を開業するか、外国に渡り傭兵にでもなるか、思案していた頃だった。
運命的とも言える人物に出会ったのである。
水戸市にある、居酒屋。
随分お酒が強いね、と眼鏡をかけた隣に座った紳士が語りかけてきた。
適当にあしらっていたが、その時テレビで流れたスペースシャトルのニュ
ースをきっかけに、詳しい構造などを紳士は伏見に話し始めた。
時代遅れのスターシップだよと微笑んだ。
随分詳しいジジイだとは思いながら・・・伏見はその博識の中に次第に
溶け込んで行った。
物腰にも語り口にも実直なものがあった。
パイロットでもなさっていたのですか?と聞いてみた。
物腰とは裏腹に、始めて合わせたその目は、以外に鋭い光りを湛えていた。
何者なのか?
紳士はスーツの裾を伏見の鼻に近づけた。
病院特有のオキシドールの匂いが微かに滲んでいた。
医者であった。
紳士は、眼鏡をも光らせ、続けた。
イオンロケットが実働しています。水銀の原子を、電気を持つイオンに
変えました。イオンを電磁石で引き、噴出させるのです。既に宇宙に居ます。
ご存知かどうか、観測衛星やまぐもと言います。人を求めています、航空工学
に詳しく、しかもパイロットだった逸材をです、極秘裏にです。
まさに俺の事ではないか?
己が履歴前身を語り、伏見は生ビールを一気に開けた。
戦いが始まる兆候があります、ここへ来てくれますかと、懐に手を入れながら、
紳士はもう一杯注文を差し上げた。
誰と、テロルとでも ?
伏見はビールが届くのを忘れたように、紳士の瞳をまじまじと凝視した。
今の所は言えない、男として、生きがいを追求したければ、ここに来てくだ
さい。
伏見の勘定と名刺を置いて、その初老の男はネオンに消えていった。
学校法人那珂川学園常央大学、学長、執行理事、医学博士、市島典孝。
名刺にはそう書いてあった。




鍛錬の為のジョギングを、今日は二十キロに延ばした。
少林寺拳法師範の腕前で、常央の事務長方々、拳法部の監督もしていた。
ジョギングが終われば、公園の目ただない場所で型を演じ、五メートルの
木に登り飛び降りる練習をくたばるまで、する。
格闘は頭上をとった方が有利、伏見の信念だ。
終われば水分をとる、水などではない、ビールである。
さて、今日からそろそろ作戦に入ろうか、いつまでもホームレスではと、
ウィンドウを開け熱い風を吸うと、見覚えるのある顔が運転するクラウンが、
ゆっくりと幹線道路を走っていた。
やばい!と慌ててシートを倒した。
公安のあの、憎むべき蓼科であった!!
動悸が襲う。
来るか?と耳を澄ませ身を固めたが、安に相違して、紺のクラウンマジェスタは、
ランドクルーザーなどに目を向けず、ゆっくりと南へ、六号国道方面へと走り
去った。
よく見ればクラウンの前を歩調を合わせたように、黒いエスティマが走っている。
乱れない一定の速度に、脈絡のコンディンスが見える。
人相は識別出来ないが、蓼科の仲間だろうと、伏見はドアを開け外に出た。
車を見送ると、人のうめき声が背後から、聞こえた気がした。
木陰に停車した車からよろよろと若い男が出ていた。
「胸が、心臓が・・・いてえよ・・・」
伏見は振り向いた。
彼女らしい女が、もがき苦しむ男の体を、辛うじて支えて悲鳴を上げている。
さては、と伏見の心を青い閃光が押し上げた。
・・・また、死ぬ。
ああ、予告はとっくに、始まっていたのだ。
これだ!!
公安警察員、蓼科が狙っていたものに、伏見は初めて気が付いた。