箱舟が出る港 第六章 一節 残照 九

murasameqtaro2007-03-29

宍塚大池。
土浦市つくば市
境にあるその地は、別名、緑の島
とも呼ばれている。
開発ラッシュに見舞われる
この付近で、異様に高い
静けさを残している。
日本全国を探せば、このような地は、
数多くあるのかも知れない。
例えば幾千、幾万の仏像が同じ顔、
同じ大きさ、同じ慈悲を並んで醸し出しているとしても、
容易に望む一体を見つける事が出来る、というような感じに思われた。
灼熱の太陽は晩秋にさしかかるというのに、今だ居座り続けているが、
熱くともここだけは何かのバリアーに守られたように、心地よい長い夏を
展開していた。
木漏陽をケーキにして焼いて食べたのなら、どんな味がするのだろうと、
ちえ美は思う。昨夜から何も食べていなかった。
そこいらに茂る雑草は、何の変哲もない草なのだろうが、何か変な薬のような
香りが、ほのかに流れている。
玉石が敷かれた本殿へと続く坂道。
短い坂だ。
足を動かすたびに文字通り、玉が転がる音がする。
人間と同じように、樹木や草花は生きている。
自然が生かしているのだ。
形に無駄がない、論理的な複合である。
だが、石ころはどうか?
形に必然性がない、無駄ばかり、基本がないのだ。
即ち死んでいる事を意味する。
岩石を始め、石は部分体である。
無限なジグソーパズルは、宇宙から振り、歴史を持っている。
いったい何があったというのだろう。
何億年もの過去の姿が、その中に、隠されているのだろう。


無宗派 慈門寺。
いい加減な名の寺であった。
室町前期から続く由緒ある寺だと聞くが、現住職の鍋島慈形の代になり、
無宗派】に変えたと、聞く。それ以前は真言宗だったと。
無宗の寺とは何か?
何も教えない寺という事かと、ちえ美は門をくぐった。
不思議な事に、あの草の匂いのせいか知れないが、MMVの特徴である強い
生理前の淫乱感覚が幾分薄れてきた感じである。
あの運転手にしがみつきたい衝動にも駆られは、した。
MMVの治療法は今だ確立されていない、せいぜい精神安定剤を処方される
のが関の山だった。
隔離しても効果がない。
野放し状態と言ってよかった。
ウィルスはまず精神を助々に確実に破壊するのだ。
性欲という、精神面だけの、崩壊であったが・・・
境内には寺男が居た。
朝の掃除のようである。
麦わら帽子に何匹ものトンボが止まっている。
手にする箒が動いているにも関わらず、トンボは悠然と、止まっている。
殺気がないのかも知れない。
いわば、自然と人間との見事な調和。
まるでミレーの、落穂拾い、のようなコントラストと、構図である。
ちえ美はその小柄な貧弱そうな寺男に透明な何かを見た。
寺男の体を透過し、向こう側の寺池が、見えた気がする。
「おはようございます・・・・立花と申します。鍋島さんから、お呼び頂き
まして・・・」
ペコリと頭を下げると、男は近づいてきた。
「やあ、チーコ、暫くだね」
真っ白な歯が印象的だった。
「えっ、私を知っているんですか?」
ちえ美は唖然とした。
逆光りのせいか、顔はよく見えないが、初めて見る姿である。
鍋島は大男のはずだった。
そうか、と寺男は呟くと、胸に印を結んだ。
掃除モードだったもんでね、それらしい風体に見えたかも知れないと、おかしな
事を続けて呟く。
「えいやあっ!!」
落雷のような気合がちえ美の足元を大きく揺さぶった。
ドライアイスの縦から、一瞬の煙った中から、出て来たのは、懐かしい
鍋島慈形の顔だった。
麦わら帽子をとった顔に、いつしかの、切れ長の優しい目が、微笑んでいた。
「慈形さん・・・あたし・・・あたし・・・つらかった」
ちえ美は、慟哭を発し、慈形の紫陽花色の法衣に抱きついた。