箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 八

murasameqtaro2007-05-10

高根沢くん、
君卒業は?」
田井一馬が
おちょこを美音に差し出した。
無き夫の話しが出た為か、
娘は伏し目が濃くなった。
 「来年です」
知音に勧められ、
政春もおちょこを空にした。
孫娘は母と違い、
そのきらきら光る目が、彼の横顔に
瞬いている。
 「就職先は
決まっているのですか?」
 「いえ、なかなか。金融恐慌から13年経過しますが、都会はともかく、
東北の現状はひどくなる一方です。産業は乏しい。かといって、職業軍人になる
つもりは毛頭ありませんが」
 井上宮司は田井、知流、山中の顔色を順繰りと見た。
 言わば軍人を否定された三人だが、顔色は全く変らない。変らないどころか
石の話しを交えながら、源吾などは軍艦マーチなどを口ずさんでいる。
 通常なら幸吉は「馬鹿者、それでも日本男児か!」と怒鳴りつける。
あたかもたったひとつの未知なる石ころが、三人の世界観、人生観を180度
変えてしまったようだった。
 「よかったら、日立へ行ってみんか。小平浪平に関係する会社が鉱山技師
探している。研究の継続にはうってつけではないかね?」
 小平浪平とは、日立を発祥とする巨大電気機器産業の、創業者である。
 「・・・日立鉱山常磐炭鉱ですね。・・・さすがです、田井さん。
全てお見通しのようで」
 「その石は多分日立付近で君が見つけたのじゃろう。風呂敷の中から日立の
助川駅の切符が落ちていたよ。それよりもだ。君の右目と手のただれは
源吾どんの言うように、放射能によるものと思われる。直るものかどうかワシ
には分りかねる。ワシどころか、世界中のどんな名医でも分らないだろう。
放射線による病は珍しい。鍋島のところへ行こうとしたのは、むしろこっちの
理由が大きいのではないかね?」
「・・・・・・」
「まあ、飲め学生。鍋島僧侶ならきっと治してくれるって」
幸吉が知音からとっくりを取ると、認めた湯飲み茶碗になみなみと日本酒を
注いだ。
「私の立場はどうなりますか?」
一滴も口につけていない井上の語尾が濁っている。
「だからじゃの。高根沢くんが悪いのじゃなか。彼はこん石に平和を見出した
のじゃ。彼と我々だけが知った事実が石ん中にあり申す。こん石も歴史も生き
モンじゃけん、変えることも出来るんじゃ。死んでれば別だがな。宮司さんの
子供が入院されたと言うなら、高根沢くんと一緒に鍋島何某に観て貰ったら
どうじゃ。未知の病のようじゃけん、ワシも医者では直らんと思う。明日にも
娘さんを連れて三人で行ったらよか。見事治癒したのなら、ワシも鍋島何某を
認めよう」
 床の間に置かれた木製のやじろべえが、源吾の声に呼応したのか、左右に
動いている。
「俺達はどうするよ、源さん?」
山中は明後日には、土浦航空隊へ戻らなければならない。源吾は三日後に
広島は江田島だ。
「いっその事・・・・」
 やじろべえの振幅が、より大きくなった。
源吾は腕組みをして、戦死した田井一馬の婿の肖像画を見つめた。
「何だ?」
「すなわち軍を抜けると言う事ですね、源吾どん」
田井一馬がにこやかに未知なる石を見つめた。