箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 七

murasameqtaro2007-05-06

会話にひと息を
入れたのは電話であった。
田井村に
二本しかないうちの
一本である。
 「お爺様。
甘粕正彦様からですわ・・・」
電話を取った智音が
うんざりした嫌な顔をしている。
 「またお前の女優への誘いだな。本人が嫌だと言うのに、しつこい奴だ。
また・・・ 父親が戦死した満州などに行かせるわけにはいかん。
留守だと言いなさい。以後甘粕からの電話は無視して宜しい」
 「はい!」
智音はスミレの花のような、優しげな笑みを顔いっぱい広げた。
粘りついた物からこれで確実に開放された事になる。
祖父も迷っていたのだ。何せ相手は満州に君臨し、関東軍も一目も二目も置く、
満州映画の実力者のあの甘粕正彦なのだ。
恐らくはその石が決別の基点となったようだ。
 「大川周明博士からも、お留守の午前にお電話がございました」
「大川も無視して宜しい、分けの分らん輩だ。ろくな用事ではあるまい」
 高根沢政春は、目の前に座った白いアゴヒゲの、田井一馬の人物となりに
改めて驚いた。
 退役軍人ではあるが、今だ軍部にも大きな影響を持っていると思われる。
 田井家と田井村。
 実家が近い山中幸吉は振り返る。
 飯田姓の閥と桜井姓の閥が多いこの村は、議員の選挙などをはじめ両派閥の
揉め事が多く、憂慮した田井家が自らの苗字を語呂合わせし、安定させたと
言う歴史があった。
 元々は広野村と言う名であったが、飯田の田と桜井の井を併せて田井村にして
しまったのである。
 村始まって以来の秀才と謳われ、海軍少将まで登りつめた。怪我さえなけ
れば、大将になってもおかしくない人物との噂であった。
 山中は後ろ手に井上の足を捻った。
 会話が続く空気を読めない井上宮司がはっとして口を開いた。
 「私は科学などに造詣がないものですから、神頼みの他に手は無かった
のです」
 「鍋島は後でもいい。まず科学的に検証すべきだ。丁度いい人物に会ったな、
井上さん」
 「この図体のでかい男は、まだ私は信用できないのです。確かに石の中の
歴史映画のようなものは私も見ました。でも信じられないのです。こんな石ころ
の中に世界の歴史が凝縮されているなんて」
「君はこの石に魔性を見たのではなかったのかね? だから鍋島に任せようと
した。話しが少し矛盾しているのではないか?」
田井一馬は井上に酒を注いで首を横に振った。
 「・・・・・・・・・」
反論する言葉が見つからず、井上宮司は下を向いてしまった。
 源吾と幸吉は勝ってに酒をガブ飲みしている。すでにつまみの山菜が半分
ほど無くなってしまった。
 「確かに神の領域の現象もある。だがこの石は半分生きていて、半分は
人工的なものだ。前者は魔性と思われる。後者は科学で追及できるはず。
そしてその秘密を解き明かしたら・・・」
田井は戦史した婿の肖像に目を向けた。
 「歴史が大いに変り申す」 
おちょこでは足りないというように、とっくりを口にした源吾もそこに目を
置いた。