箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

 日差しが強い。
 12月に入ってすでに三日が経過したが、太陽だけが強烈な存在感を、
幽玄に示している。
 茨城県大洗サンビーチ。
2006年10月に、多数の溺死者を出したにも関わらず、砂浜は色とりどりの
パラソルや水着で埋め尽くされていた。
 焦点が定まらない。海の家の売り子も、貸しボート屋も、左手に遮る埠頭
の向こう側、大洗漁港や大洗海つり公園を往来する者達など地元民。彼ら
はより、ふらふらと太陽に冒され、瞳の先は、定かではない。
 死体発見現場である岩礁地帯は、これより北に4キロ程の、磯釣り
の名所であったが、骨を残し、何かに食い尽くされた人間が続く一帯にある
と言うのに、観光客は、もはや常軌を逸脱していると言うべきであろう。
 政府は内陸部へ避難せよ、海岸付近から撤去せよと通達を出しては、いる。
逸脱? まだ柔らかな表現であろう。まだ、まとでいる人間は、引っ張られた
同行者の姿を波間に見、海の家に引っ込んだまま、泳ごうとはしない。
 歓喜を上げ喜んでいるのは、精神が病んだ者と仮定していいだろう。
 そもそも晩秋が終わり、季節は冬に入っているにも関わらず、気温は
30度をゆうに超えている。それだけではない。夏を演出する昆虫などは、
今だ土の中に入ろうとしないのだ。雨も振らない。
 11月に55名。12月は3日までに12名、岩礁地帯を中心に死んでいる。
死因は溺死と心臓麻痺。それ以外に何らかの原因があったのだろうが、骨だけ
では調べようがない。警察はさじを投げた。犯罪性はない。司法解剖のしようも
ないのである。
 海岸に近づくな、そう警告するのが関の山だったが、灼熱はいやがおうにも、
人間を海に誘う。
 海を嫌う人はいないだろう。特に夏には、水平線の向こうで、何かが手
を振っている。子供にとっては遊びであり、青少年にとっては恋路であり
大人にとってはバカンスなのだ。海の季節は、行かなければ、とり残され
そうな感じがする。手を振るものは開放という名のすばらしい自由
なのかも知れない。その自由が牙を向いた。人間の弱気部分を突いてくる。
 夏と灼熱は性欲を増幅させる副作用があるのだ。
 MMVウィルス。
海岸地帯に住む住民を中心に初潮から閉経までの幅広い年代層の女性に
蔓延する。
伝染媒体は不明。不明でもウィルスと呼ぶ以外なかった。
肉体は健全であるが、女性の性欲という精神を冒す。狂ったように男を求める。
応じた男たちは精子どころか、肉体の全てを搾り取られ、心臓をやられ、死ぬ。
有史以来の最大の伝染病であった。


 常央大学付属大洗高校。
 グラウンド越しの東には広大な太平洋が広がる。
北には小高い山林地帯。海と林とに囲まれた、勉学やスポーツに集中するには
理想的な環境にある。
 その日普段は人気のない、北へ3キロほど入った林の中で、ある儀式が行われ
ていた。
 「どうしようって言うのよ!!みんなどうかしちゃったの!?」
制服をビリビリと破られ、草叢の中に倒れた少女は、泣きそうな顔でクラスメ
ート達を見回した。
 「・・・仕方がないのよ・・・ゆみかさん・・・」
遠雷にも似た轟きを持って、担任の教師が一歩前に出た。
 「なぜよ! みんな変よっ、どうかしてるっ!! 警察に話すわよ、先生っ!!」
ゆみかの周りを40人のクラスメートと、担任が囲んでいる。
 「・・・どうもしちゃあ、いないさ。・・・ゆみか? ガリベンのお前は
知らないだろうが、全国、いや・・・世界中で始まっているんだ」
 分厚い眼鏡をかけたクラス委員長が、残忍な眼で、ゆみかの太ももを
舐めるように見た。それは昨日まで、お互い勉強を教えたり、教わったりする
理知的な姿の委員長では、なかった。一日明けてみたら、人が獣に変身して
しまったようだった。
 「・・・わっ・・・私をどうするつもり? 犯すの・・・?」
 男女比は半分。魂の抜け殻のように、妖しく仲間達は、立っている。
 「犯す?・・・とんでもない。ゆみかさんは、私たちに、・・・食べられるの
よ・・・食べないと・・・」
担任は腰をおろすと、その切れ長のゆみかの眼を撫でた。
 草がざわめいた。黒い雲が東から、急速に上空に流れた。アマガエルが草叢
の中へ消えた。