箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

瞼の上に強いオレンジ色が重なった。
細く吊り上った眼が、パチリと、開いた。
寝起き特有のけだるい眼差しは見られない。
熟睡出来たのか、何かを直ぐに始めたかったのかは分からない。
空にしたウィスキーの瓶が、何本も転がっている。
ブラインドを閉めず寝たのは、初めての事だった。
樺沢辰巳はそれを見るとあわてて毛布の中を手で弄った。
―――あった、良かった・・・夢ではなかったのだ。
昨夜この部屋を訪れた、初めてできた友人達。
殻に潜っていた心が、昨日氷解したのだった。
2006年6月 神宮。全日本大学野球選手権優勝記念ボール。
樺沢はそのボールに書かれた、ひときわ強い書体の名を見つめ、涙を流した。
―――毒島先輩・・・ありがとうございました




「ストーカーに付きまとわれているの。でも警察は何もしてくれないの。
だから・・・キヨ兄ちゃん、助けて欲しいの・・・」
 お世辞にも美人とは言えない。
 一番似合うのは、制服。個性はあまりない少女である。
 全体的に扁平な感じのする17歳の小田部ゆみかが、従兄弟である常央大学
空手部主将、毒島清人に相談を持ちかけたのは、2006年の3月も終わり
の頃だった。
 毒島は強い。ゆみかの通うその付属大洗高校は当然の事、県下にその強面が
轟いていた。
「おめぇのような女に興味を持つ野郎がいたとはな。どうだい、クラスで
カレやらカノやらがいねえのは、おめぇだけと言うじゃねえか? ストーカーと
やらをこの際彼氏にでもしちまえば?」
鮫のような鋭い眼であったが、底には限りない仏のような優しさを湛えた
従兄弟が軽く笑った。
 隆々とした体躯であるが、見る者に釘を印象づける。
髪はパンチ、今時やぼったいにも程がある長ランとボンタン、そして鉄の高下駄で
一年を通している。
 「もう茶化さないでよキヨ兄ちゃん、あたしホントに悩んでいるんだ
からねっ!!」
プィ、と横を向いた仕草が少し可愛い。しかしそれよりも恐怖が顆粒のように頭の
中にとり憑いている事を、毒島は見抜いた。
顆粒は震えとなってゆみかの全身に拡散するのだった。
 「どうもこういう場所は行けねぇよ。で、何て野郎だっけかな?」
毒島は恥ずかしそうに、チョコレートパフェを水でも飲むように、一気に喉に押
し込んでしまった。
「常央大の一年生。経済学科の樺沢辰巳よ。大洗高校のニコ上」
「ふむ。顔なじみではあったという事だな。で具体的にどういう事をおめぇに
するんだ?」