箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

樺沢辰巳の実家は、東京都国立市
一族は、株式会社樺沢工業所なる工場を経営していた。
歴史のある工場で、戦前は五菱重工の協力会社として、歩兵銃などを
生産していた。
戦後カメラの部品製造を経て、現在では、複写機、テレビやPCのディスプレイ
などの部品を受注生産する金属製品製造として、従業員700名を数える
中企業に発展していた。
国内5工場、海外4工場を展開する樺沢グループとして、中々の存在感を示して
いた。
叔父が社長、その弟である父は茨城工場の副社長であった。
―――人間は怪我しても、死んでもかまわない。だがプレス機や
三次元測定器、キャドシステム、 NC旋盤機、原材料、仕掛品などは火災などで
死んでは困る、などと末端の社員に聞こえるように、言う。例えば牛馬は生物
ではあるが、税法的に見ればれっきとした減価償却資産である。社員は耐用
年数四十年ほどの牛馬のような存在として見ているフシがある。
虫の居所が悪いと、辺りかまわず幹部級の社員にも、どなりちらす。
数値の把握には卓越したものがあったが、ケツの穴が小さく、副社長などの
器ではないのだ。
例えば幹部には立場がある。怒るなら密室ですればよい。それが出来ない。
生産現場では月100時間の残業をする社員も、多い。が、残業申請書なるもの
提出させ、サボる事なく100時間以上の残業をしても、半分も認められない
社員がいたって多い。
残業という者は会社側が従業員にお願いするのが一般的であるが、本人自らが
残業させてくれ、などと申請させるなど、恐ろしく馬鹿な行為を行っている。
当然病人が出る。帯状疱疹鬱病、塵肺などの仕事に起因する病が従業員
の間に蔓延する。福利厚生費が恐ろしく小さい。利益が出ているのに、社員旅行
などまともに行わない。労基法に抵触だらけの工場であった。
環境改善しようとせず、人は機械以下としか、父は見ていないのである。
どうしてこんな会社にしがみ付くのかと、辰巳は工場を訪れるたびに思って
いた。
決定的に父を嫌ったのは総務課係長の自殺未遂の頃からだった。
総務課は正社員一人とパート社員ひとりだという。
茨城取手工場の正社員とパートは役70名であるが、派遣社員、出入りの外注
業者を併せると120を超える。120名の管理を事実上ひとりで追行する
など、物理的に無理である。パート社員の女性は残業をしない。一部の仕事
だけをすると割り切り、さっさと定時で帰ってしまう。係長が苦しんでいても、
お手伝いしますか? とも言わない。さっばり上がらない時給に嫌気をさし、
割り切っていたのである。
総務部は部長も課長もいない。係長が実質的な責任者である。
山口博と言う係長は膨大な仕事量に困惑していた。
総務、経理、人事、庶務。それをほぼ一人で追行しろ。と言うのである。
例えば経理にしても、業務として出納、売、買掛の回収支払い。予算表の
作成。月次決算書の作成。経理という木を細かく枝分けすれば、きりがない。
総務、庶務、人事も同じである。だが総務の残業枠は月10時間ほどが申請の
許容内である。
溜まっていくだけの書類を見ながら、係長は、疲れた、とよくため息を吐いて
いた。
ファイリングもままならず、気づいた時には仕事の中身が
メチャメチャになっていた。



振替伝票を切る。
切った伝票を会計ソフトに入力する刹那、工場長より、内線が、入る。
派遣のペルー人がトンズラした、よって新しい労働力を即確保せよ。
プレス工程は生産管理により、最低の必要人員が、細かく計算されている。
ひとり欠けたら、ラインストップもあり、受注先に多大な迷惑をかける。
場合によっては損害賠償も要求されかねない。
その事を良く知っている山口総務係長は、計算中の仕事を後に回し、
派遣業者に至急人員の確保に奔走する。
人員は直ぐに集まらない。現場からは嵐のような催促が、来る。
経理業務はまたやり直しとなる。甚だ、集中出来ぬのだ。
二、三日の時間を費やし、人材派遣会社が、ワーカーを連れてくる。
パスポート、外国人登録証を吟味し、工場長に報告する。
新たなワーカーの採用が決まったら、三階の被服室へ行き、作業着を支給し、
現場に送り出す。
ひとつの仕事をじっくりと考え、終わらせるには時間がとてもではないが、
足りなかった。
目の前に積まれた書類の山。とても真実な仕事など出来はしない。
―――このままでは・・・このままでは
大変な事になると山口は憂慮していた。
「工場長、もうひとり、社員を入れてくれませんか?」
こけた頬がはっきりした時、山口は鬱を患っていた。
「副社長に相談してみる」
斉藤という工場長が伏し目がちに応答した。
「そうですか・・・。このままでは総務は崩壊しますよ」 
「・・・それはよく知っている。だが・・・副社長が」
「よろしい。ならば、このままでは責任が持てないので、辞めさせてもら
います」
総務の定員は2名という。2名の根拠が山口には分からなかった。
それから三日ほど経過した日、税務署より山口のところに電話が入った。
「税務調査をしたい」