箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

「うん・・・? 人格の事を言ってるの ? 二重人格とか・・・?」
疲れた身体であったが、何を言っているのかとぎょっとし、樺沢辰巳の顔を
まじまじと見た。眩暈が、する。一変に十も二十も、歳をとってしまったような、
もごもごとする口元を自覚した。
出始めた蟻が、穴のなかに、そわそわと消えていく。
いつもながら端麗な容姿の辰巳である。また素朴で純情な性格である事を、
辰巳と接した茨城取手工場の社員は知っていた。
副社長の細君は見た事はないが、間違いなく女親に似たのだろうと山口は
思った。無論、性格もだ。
「山口さん、パーマンに出てくる、鼻の黒いコピーロボットを知ってますか?」
「え? 話が飛躍すぎて、良く見えんな・・・知っているよ。小さい頃
リアルタイムで見てたよ、それで・・・どうした?」
「例えれば、それなんですよ。父が二体いるのです・・・。そして彼女の件
ですが、赤く小さな匂い袋を携帯にストラップしている。その巾着に包まれた
香りに遠い記憶があった。勿論そんな時代遅れのものを今時もっている
女性などいない。何だろうな・・・と長い時間考えました。やっと分かったの
です。・・・山口さん。死んだ祖母の棺桶に入れたものなんですよ。祖母の
愛用品だったのです。何故か・・・それが・・・」
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。
70才になるパートタイマーの平子明のフォークが、鐘と同時に完成品倉庫
から、飛び出した。
この子は幻覚ではあるまいか、と山口は空間を見つめた。自分の中の心の
疲れが産み出した産物ではあるまいかと、思った。コピーロボットやら、
祖母の赤い匂い袋、とやらの話は現実味として、とうてい受け入れられる
はずがない。
辰巳のような人物が、ここの経営者だったらどんなに良かったか。
思っていた願いが具象化したのではあるまいかと思った。まだ青年である。
今後社会の波に揉まれて、性格を一変してしまうかも可能性は、大だ。
が、このままの性格で一生を終わるだろうと、根拠のない時間の答えを、
引き出していた。