箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

沢山の光の点滅が見えた。宇宙の真っ只のようでもある。下界で見ていた
星星の灯りだろうと思うには、なんとなく納得が行かなかった。光の瞬きが、
異様に早い。
―――疲れました。洋子、・・・娘を頼む。
手帳を破り捨て書いた遺書と、折り方を忘れた不恰好な折鶴。
これからどこへ連れていかれるのかは知らないが、実に広々とした開放感が
あった。自分だけ楽になり、妻や子供の事を申し訳ないと思うが、不思議な事に
罪悪感はなかった。
一方、口をこじ開けられている違和感がある。胸を押している者がいるようだ。
しかし周りは星のような光の点滅だけであり、人間などひとりも居なかった。
 ―――恐らくは・・・あの山林の中で死体を見つけた樺沢取手の社員の
誰かが、睡眠薬を吐き出させているのだろう。心臓マッサージをしているのだ
ろう・・・
だがもう、いいんだよ。俺は帰らないんだ。
事務カバンの底には、睡眠薬が七十錠、パキシルと言う向精神剤が七十錠ちょ
っと、加えソラナックスという精神安定剤が、六十錠余り。
心療内科に通院している事を、妻には内緒にしていた。いらぬ心配はかけたく
なかった。家に置けば薬は発見されるかも知れない。隠すようにいつもカバンの
底に置いていた。その薬を工場内の自販機で買ったお茶と一緒に、合計二百
錠余りを一緒に一気に胃に流し込んだのだ。直ぐに意識は無くなった。そして
直ぐに宇宙空間のような場所を泳いでいた。
―――ああ・・・やはり魂と肉体は分離するのだ。分離した魂は初めに三途の
川に行くと言うが、違っていた。上には天の川らしき星の集団が、流れを作って
いる。
―――三途の川とは天の川の事ではなかったか?
大宇宙の真っ只中を飛んでいる。恐ろしいほどに精神は安定していた。恐怖
など全くない。
その時であった。
―――あれは何か?
宇宙遊泳とも言うべき己が体の流れの先に、突然鈍い金属色を発した人工的な
物体が見えた。
―――あれは・・・もしかして、ボイジャー!?
であるが、宇宙開発に造詣が深い山口には、見覚えがあったのだ。
ボイジャーならば、太陽系を離れ、外宇宙を飛来しているはずである。
のろのろと至近距離を呆けたように流されるその物体は、かつてアメリカが打
ち上げた、宇宙船ではないのか!?
―――なぜ、こんな空間に!?
ここが死後の世界なら、絶対にあってはいけない物体であった。
もう直ぐ手が届く距離に居る。山口の遊泳のほうが、早い。
高利得アンテナが見える。
間違いはなかった。
哀しげに漂流する宇宙船ボイジャー。自らの影はその錆かけた船体に落ちな
かった。