箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

murasameqtaro2007-10-19

「ま、那珂川学園の
副理事長として言うの
ではなく、あくまで野球馬鹿
の言葉として聞いてくれ、
これはね」
ラークを根元まで吸った森内は、
研究室内の書物を見回すと、
「よく言われる事だが、甲子園には
魔物が住んでいるっちゅうの」
研究ではなく、超科学などの【読み物】
としての書物が一冊もない。
オーソドックスな戦法を取る太田垣らしい
といえばそれまでだが、やはり発想は
貧しいのかも知れない。このあたりが指揮官として今ひとつ延びない欠点か。
ここは口下手な俺だが、硬い学者の頭を解りやすく溶かしてやろうと、森内は思
った。
真面目な人間ほど新しい発見をすると、次の発見に貪欲になるものだ。貪欲さは
いずれ鬼ともタヌキとも揶揄される化け物に変身する。
58年前。
左中間に飛んだフライ。
センターの森内とレフトが追う。ボールは森内のミットに納まったかに見えたが、
レフトの体が当りこぼれてしまい、逆転負けの最後の夏だった。
責任を感じた森内は、慶応などに合格するものの、そのまま学業にも定職にも就
かず、始めにその母校の監督になる。
母校では無給であった。その母校から前身は女子高だった取手三高に移る。
収入は購買部から出る給与とは呼べぬ月六万の、寸志、であった。ここで全国制
覇させた後押しかけたマスコミにより、六畳二間のボロアパートの床がめりめり
と破れたという。その後理事長の高村に手腕を買われ、常央に移る。
甲子園にかける執念は、森内を野球の鬼に変身させた。
「この部屋は魚の本ばかりだな。一冊くらいさばけた本を置いておけよ。少し
デタラメになったらどうかな? ま、それはいい。野球の本が無いのが俺は気に入
ったべ」
「今更野球技術の本など読んで指導するつもりはありません。拙い私の経験と、
運動生理に関しては心強き生き字引がいますからね 」
「体育学部の菰野という野郎だな。ありゃあ、たいした男だな?」
「彼を知っているのですか?」
「常大の助教授にして応援団の部長だっぺよ。弟分の大洗高校応援団にも指導
に来ているさ。実に理に適った応援の指導をしている。応援は空気が敵だ。オス
と言う気合と同時に繰り出す突きは、空気の流れを霧散させるようだ。何秒かは
知らん。応援の舞いを舞った刹那、酸素が一時的に無くなるような力だな、これ
はね。気まぐれな甲子園の浜風も流されたのを俺は何度も見たよ。神風とは確か
にあるもんよ」
「繊細ですね、総監督。彼は拳正道の世界チャンプだった男です」
「そんな事はどうでもいいのよ。チャンプなどには興味がない。いかにチャンプ
にさせるかは、興味があるがね。要は真実を見る目があるって事だべ。勝負事は
ごまかしが利かない。超能力者じゃないんだからなぁ。拝んで優勝出きるなら、
坊主の学校にいけっちゅうの。PLや天理は拝みの学校だが、感がよい指揮者が
いるんだ。 指揮者、即ち勝負師に尤も大切なのは感なんだ。前置きはこれで終
わりだ。では本題に入るべか、監督? まずあの子、高月とか言う小娘は人間では
ないよ、これはね」
人間では、ない・・・。
ならば何者なのか!?
他でもない。畏敬の対象の森内が言う言葉は重い。
太田垣の背筋に光が走った。
予想していた回答ではあったが、汗が吹き出る。
その汗に一匹の蝿が止まろうとしていた。