箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

murasameqtaro2007-10-23

習志野との練習試合。
これはビデオは
撮っていない?」
「千葉のチームですからね。
夏の県大会には関係ありませ
ん。チーム分析の必要は今の所
ないので。もっとも甲子園で戦う
事になったのなら、予選のビデオ
などをどこかで借りますがね」
「ま、そうだろうな。今のところは
撮っても仕方がない。だがね、俺はあの日の
ビデオを持っている。習商は千葉の優勝候補の一角。甲子園で対戦しないと誰が
いえっぺか?」
えっ!と太田垣は絶句した。
なんという男なのだろう。
雷 ? に直撃された木の一本隣の木陰で、森内は試合を見ていたのだ。
総監督などといっても、名誉職である。実際何も口出しはしなし、練習にも出て
こない。
野球で残した功績は、秘書が付き柔らかく深いソファを用意した。勿論個室で
ある。
一日中本を読んでいるという噂であった。
それなのに・・・。
もしかして森内は、知らないふりして、野球部の全ての試合、練習を影のように
見ていたのではあるまいか。そうに違いないだろう。
恐るべき野球の鬼である。太田垣は今更ながら感服した。
巷で言われる森内像などは比較にならない。
黄金かあるいは神木で削られたような、畏怖に値する森内と言っても過言では
ない。


―――お久しぶりです。湘南東の太田垣英彦です。30年ぶりでしょうか?
―――やあやあ、オヤジ顔になったね。紅顔の少年も、ね。あんたのシュート
ボールは良かったなぁ。俺はこれで隠居する。以後全て任せる。口も出さんよ。
常央大洗をよろしく頼むな。
―――これもめぐり合わせでしょうか。森内さんと戦ってなかったら、道に迷い
ました。大洗高の栄光を汚す事なく頑張りたいと思います。何かありましたら、
相談させて下さい。
・・・三年前の再開の会話である。



73歳という高齢を理由に、森内幸男は三年前に常央大大洗高校野球部監督を辞
めた。
夏の甲子園大会で優勝という花舞台を最後に、太田垣に監督を譲る。
めぐり合わせ・・・。
大洗高の教師であり野球部のバリバリのコーチである男は、甲子園ベスト4、
そして東京六大学を賑わせた、森内の教え子の投手である。
心から思う、彼のほうが森内の後には、適任ではないかと。
なぜ俺が後任なのかと迷いはあった。
―――今更ながら振り返れば、那珂川学園には実に精鋭が揃っている。
教授は勿論、学生は武道系を筆頭に、さらには警備清掃まで隙のない人間ばか
りが居るように思われる。高校野球の神様監督までが居るのだ。
運命共同体の匂いが強い。集まるべくして集結した感が強い。
必然なのか? ならば?
その中で、俺の役目は・・・何だというのか?
懸念していた常央の不透明な計画の中に、すでに取り込まれていたのか?



「光が放たれた場所、サードベースの横にある桜の木の一帯は、かつて那珂川
支流であったのだよ。埋め立てられたのは昭和20年の秋も遅い季節だったと聞
く。俺が14の頃だ。海軍に入り、戦艦の主砲をぶっ放すのが夢だったんだがね。
そこで、なぜ埋め立てたのか ? 何を埋めたのか ? これが問題になって来る。
あんたはどう思う? 」
もう一本のラークを森内は手にした。
那珂川付近の歴史には疎い私ですが。つまりその答えが、高月と磯前に結び
つくと!?」
「その通り。ただしこの二人だけではないよ、これはね?」
今度は火を点けただけで、森内は煙草を捨てた。
森内が持ってるというビデオの中には、多分光の一撃の瞬間映像が映っているに
違いない。