箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

murasameqtaro2007-10-24

小さな葬式を
大きくする。
自殺とは己に負けた
みじめな死に方であり、
評価など殆どされない。
例え鬱を
患っていても、だ。
周囲を騒がすみっともない
死に方である。
まだまだの長い時間を切断した、
犬死という名のちっぽけな色無き死だ。
大きく見せる事はそれを隠蔽しようとする肉親の悲しみと、
人を追いやったものに対する怒りでもある。
山口博さん。4月29日。心不全。37歳。自宅 竜ヶ崎市佐貫。通夜5月1日。
葬儀2日。実家、土浦市中央9丁目。式場 土浦西メモリアルホール。
喪主 妻 洋子さん。
尚親族の意向により、会社関係者はご遠慮下さい―――
新聞のおくやみ欄に載っている。
山口博が薬物自殺したのは、勤務先近くの草むらである。
発見した安全衛生管理者でもある社員は、すぐさま大量の水を口に入れ嘔吐させ
るとともに、人工呼吸をしながら携帯で救急車を呼んだ。
企業からの要請で救急車が来ると、一般家庭と違い追従し警察も必ず来るも
のだ。
山口の従兄弟の山口猛は、茨城県警本部捜査一課の部長刑事であった。
また筑波学園労働基準監督署に勤務する、柳俊夫という従兄弟もいる。労基の
職員は特別司法警察官でもあり、逮捕権もあるのだ。
猛と山口の両親兄弟、そして深い付き合いのある県議会議長の草刈吉朗は、
博が死亡すると真実を伏せる事にした。
警察や病院マスコミへの対応は草刈と彼の子分達の議員が奔走した。
実際自殺を一族の恥として、心不全として処理する家庭も少なくは無い。
「職場の悪業を天下に引っ張りだしてやる・・・」
草刈吉朗、山口猛、柳俊夫。
三人が動けば雇用主にとって最大の危機に陥る事になるのは必至だった。


30日午前6時。
ふたりの男が、山口博の実家を訪れた。
「ごめんください・・・」
聞き取れないほどの小さな声であった。
昨夜から一睡もしていない親族の体だが、神経は実に研ぎ澄まされていた。
中でも頑健な山口猛が、のそりと巨体を起こし「どなた?」と玄関に行った。
「・・・あのう・・・その・・・樺沢取手の者ですが、お悔やみに・・・」
50代後半らしき禿げた男と、30代と思われる平凡な男が小さくなって佇んで
いた。
「何っ、樺沢だとう!? けえれ、けえれ、ここはお前たちが来る場所ではな
い!!」
赤鬼の形相で猛は一喝した。この悲しみは飲んでなくてはやってられない。
首ねっこをつまんで放り出してくれる。
「猛さん、やめときなよ。社員さんには何の罪もないよ。むしろおふたりとも
苦しんでいるのではないか。・・・よいよい、聞きたい事もある。まあ、お上が
りなさいな」
背後から現れた草刈が猛の肩に手を置いた。
線香の雲が流れる山口博の遺体がある場所。
香りは玄関まで届き、規則的な舞を舞っている。
樺沢取手のふたりは、硬くなった体を、儚い香りに任せようと靴を脱いだ。