箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

murasameqtaro2007-10-28

草刈御大は
裂きイカをつまみ、
「俺も会社を経営している。
社員150名ほどの
中小企業だがね。企業は人なり。
そう信じて裸一貫でやって
来たよ。
思えば社員には理不尽な事も
云ったろうが、ちゃんとその分は
フォローして来たよ。
人を大切にしない会社は伸びないと。
社員は定年は別として、中途で辞めた者がひとりも居ないのが、俺の自慢さ。
それは法に触れる行為は一切していないからだ、正直だったからだと俺は思って
いる。商法、税法、労働基準法、健康保険法・・・違法行為などやる気なら
いくらでも出来たがね。バブル期にも欲をかかなかった。上手くやればもっと大
きな会社になった事であろうよ。俺は会社を大きくするより、人を大きく育てる
事を選んだ。樺沢とは新卒の定着率は、どの程度なのか聞きたいもんだ
なぁ 」と煙たそうに手の平を見つめた。
中学、高校、専門、大学。修了し入社して来た新人の定着率で、その会社の内容
や魅力が、ほぼ解る。
入社して三年間以内で辞める社員が多いのは、社員に問題があるのではなく、
まず会社側に問題がある場合が多い。
樺沢のふたりの顔を東から陽が射ている。
具円は陽を腕で遮るような格好で、
「・・・50パーセントです。一生懸命仕事をやってた子が、動作が遅いとリストラ
されたのは、昨年秋でした。入社して一年半・・・。指定高からの獲得者で、
まだ19歳でした。送り出してくれた進路指導担当はもとより、その高校に顔向け
が出来ないでしょう。上層部は山口君に違う学校へ訪問しろ、と指示していたよう
です。何しろ採用実績もない学校への訪問。翌年優秀な人材を入れよ、と指示
されても、それは無理というものです。誰がやっても無理です。この辺り山口君
は悩んでいたようです」
と云うと、神岡の顔をチラと見た。
「新卒の獲得活動の解禁は七月。樺沢の決算が六月。経理関係の集大成は、
八月申告となります。その時期に高校めぐりなどとても出きるはずがないのに、
山口さんは遂行されてました。こんな風にして、山口さんの仕事は糸が絡まっ
て、一筋ではほどけない程になっていたと思われます」
二杯目の酒を一気に飲み干した神岡は、一気にそう云った。
「なんと、なんと?・・・実に情けない定着率だ。尤も鬱病を患った奴が経営
しているから、理解出来ないでもないがな。異常だな ?・・・受注先を定年
退職した畑山なる男が、顧問として暫定的に来たと聞く。引き金はこの辺りのよ
うだったな。・・・畑山とかは、どんな男かね ? 」
呆れた顔をした草刈は、樺沢という名の法人の人格を悟ったのだろう、話題を
個人に切り替えた。
具円も神岡もこの老人は何杯飲んでいるのだろうかと思った。
帰りたいような、まだまた飲みたいような、不思議な気分の樺沢のふたりであ
った。
ピッチが早いにも関わらず、一向に酔う素振りなど見せない。
草刈は「おい、空だ」と山口猛に一升瓶を渡すと、ビールの栓をスポンと脱いだ。