箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

murasameqtaro2007-10-27

「総務とは
広辞苑によれば、
全ての事務を諳んじる事と
いうらしいですね。それは
相当な人員が居て初めて
成り立つ解釈です。
馬に乗って馬を探すと云います。
総務の仕事は浅いけれど、
実に広いものです。
垣根などないに等しい仕事ですし、基準値がありません。
いつもストレートが来る仕事ではないのです。これに経理、庶務、人事が絡む
と、とてもではありませんが、ふたりでは追行出来ないと思います。その他に
ISO関係、安全衛生委員会事務局長、いいかげんな経営コンサルタントの宿題で
ある、目標管理、なるものがある。僕は樺沢に来る前もっと小さな会社に居たの
ですが、総務部には5人の社員が居ましたよ・・・」
山口博はこんな仕事をしていた、こんな動きをしていたと云わぬ神岡は、残業
時間が異常に多いものの、生産管理というひとつの専門を追行しているに過ぎ
ない。一つの網で時間をかけて、一つの物を引っ張りあげればよいのだ。
総務部には5人の社員が居ましたよ・・・その一言に全てが要約されている。
「壊してしまったようです。あちこち手を出せば自然とそうなる。まだオフコン
の時代、自分の端末が無くて、僕の端末で夜明けまで経理データを入力していた
姿が印象的でした。・・・工場の事だから、怪我人も決まって出る。
決まって病院に連れて行くのは山口くんでした。労災の件もありますから。
怪我人が出れば、一日の仕事は潰れてしまうでしょう。・・・また・・・
生産現場に入って、プレス機を踏んだ事も少なくはなかったようですね・
・・。欲のないサラリーマンには、会社の存続が第一だと」
よく聞けばイントネーションが違う。ベトナムから来たという具円は、一杯目
の日本酒で、頬が朱に染まっている。具円にとっても仕事量の尋常でない多さ
ゆえ、久々の酒であるのだ。
隣室には妻の洋子と娘。そして両親兄弟が眠れないまでも、身を横にしている
はずである。
雰囲気からそれを知った樺沢のふたりは、声を潜めて山口博の置かれて居た状
況を話した。
「・・・ヒロ坊の性格が哀しい。あいつはなぁ、俺と飲んでもおたくらの
会社の愚痴など一度も言ったことはねえんだよ。拾ってもらった会社だからと、
いつもニコニコしてたよ。死んだ今だって、自分の力不足だっていいかねない
野郎さ。そ・れ・を・だ!! 優しさを逆手に取り、いいように使われた従兄弟
が不憫でならねぇ・・・だからだ・・・だから菊村に早く依頼して・・・」
「よしなっ、猛 ! それ以上は云うな。ごめんなさいよ、菊村とはね、・・・
知り合いの弁護士の事ですよ・・・」
草刈は横目で猛を睨んだ。悔しいのは分かるが黙っていろと。
「近いうちに、おたくらの会社の、抜き打ち調査を致します。総務担当は
ヒロシの他にはパートがひとりだけだと聞く。隠蔽などしない事です。と云っ
ても無理でしょう。他に分かる人物はいないでしょうしね。今頃あるいは精鋭が
調査に向かっているかも知れませんよ ? あなた方に言っても仕方がないが、
余りにもあくどいようでしたら、経営者を逮捕します!!」
初めて口を利いたのが、柳俊夫という母方の従兄弟であった。
柳にはそのつもりは毛頭無い。中小企業など潰すのは簡単である。経営陣が
犯罪者になれば終わりだ。
資本金一千万の同族企業など、新聞に出た直後信用を失い潰れる。犯罪者が
経営する会社などに誰も発注や受注などしない。同じ労働環境と思われてはか
なわないからだ。
柳の一言は迂闊にも猛が発した、菊村、の名を忘れさせる事に狙いがあった。
従業員を路頭に迷わせる事は草刈や猛にしても本意ではない。蛇の頭だけを叩
き潰せばよいのだ。