箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

murasameqtaro2007-11-01

―――俺は幾つに
なったのだろう?
動揺するには、
歳を取り過ぎた。
走る斉藤の頭に、
己に対する疑問が
間接的に突き上げる。
人間として完熟
されてはいないが、
それでも何度も修羅場もくぐり、人生の歴史の到達点が
ほぼ見えていた。これから苦労はしまいと思っていた矢先に、山口の自殺、
そして今得体の知れない大きな事故、もしくは事件が待っている。
調整池の高低は工場敷地から十メートルほど低い。場所にもよるが建物に隣接
する部分からの傾斜は平均55度。直角に等しい箇所もある。
何日も雨も降っていない。
降るどころか、異常気象の気配がする。五月を目前にして、すでに夏の倦怠
が現れている。


排水溝にゴミなどがつまり、逆流したとは到底考えにくい。
魚までもが急勾配を這い上がり、細い溝を登るはずなどあり得ない。
産卵時の鮭とて、そんな芸当は出来はしまい。
池に居るのは、主に錦鯉や、鯉、誰かが放流したヘラブナ等の大型の魚である。
ジクロロメタンなどの有機溶剤が流れている中で、よくも生きていると感心した
事を思い出す。傾斜の境には焼却炉もあり、ビニールを燃やす事から、ダイオキ
シンの灰が池に降り注いでも居るだろう。
いずれにしても水浸しになれば、電気系統がやられ、プレス機をはじめ機械設備
はブラックアウトだ。稼動出来ない。
汗が流れる。冷や汗なのか、全力で翔けている運動の汗なのか、斉藤には分か
らなかった。



駆け下りる最中三階の総務経理電算室に、沼尻靖枝がたったひとりで電話を取り
ながら、月末の集金人に手形を渡している姿がチラと見えた。
山口とふたり。ふたりでも限界だった仕事が靖枝に押しかかる。
頼みの畑山顧問は出社していない。
靖枝が恨むような目をしたが、今はかまってられない。
経理は月締めで多忙を極める。
多忙を極めたある月末、山口に自らの職掌である至急の仕事を頼んだこともあっ
た。
悪いと心で呟き一気に階段を一階まで駆け抜けた。
玄関を出て約200メートル先の工場裏に調整池はある。
また携帯がなった。
走りながら斉藤は「なんだ!?」と転びそうな足を遅め怒鳴った。
会議室に集まった幹部たちが先を行く。


「給湯室の水道管から、水道管からっ!!」
営業事務の女子社員、山之辺の悲鳴が聞こえる。
「どうしたというんだっ、後にしろっ、切るぞっ!!」
―――オタマジャクシが、魚が! 臭いっ!! 何よ、この水!?
山之辺に混じり2、3名の女子の悲鳴が聞こえたが、斉藤は携帯を切った。
精神が肉体を支配する。斉藤の信条であった。
―――肉体を分離した山口の亡霊が取り憑いたのか?
池の上空の空にヒビが入る程に、声の大きな事で有名な長谷部が何やら喚いて
いた・・・。