箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

murasameqtaro2007-11-02

調整池。
それは集中豪雨により
発生する局地的な出水を
一時的に溜める人工池を
言う。
洪水が起こらないように
調整されていることから、
そう呼ばれている。
樺沢取手のそれは、
楕円のお椀型が左右にあって、
その真ん中に半分程の大きさの円形のお椀型がある三連装の池である。
容積にして7000トン、水深、深いところで3.5メートル、平均2.5メートルと
浅い水域になっており、風が吹くと底の泥が巻き上がりやすい状況にある。
公共性が強い池であるが、樺沢取手の場合防災調整池であり、火災も危機管理
に入れている。消火用の水でもあるのだ。
留める水は満杯になると、付近を流れる二級河川に流す。
支流であるそこから、利根川に入り、やがては太平洋に出て行くのだ。


何日も雨が降らない今、水深は1メートルにも満たない状況下にあった。
樺沢は金属製品製造業という性質から、有害物質はあまり出ないが、それでも
完成品を洗浄する溶液に、ジクロロメタン(通称エンメチ・塩化メチレン)を
使用している。
エンメチ。人間に与える影響として、皮膚または目に接触すると炎症を引き起
こす場合があることが知られている。蒸気を大量に吸引すると麻酔作用を示し、
中枢神経系を抑制する。慢性毒性としては肝機能障害が知られている。
安衛法(労働安全衛生法)により携わる者に対して、検診の義務があったが、
樺沢取手では計画的に検査する事が出来なかった。
定期健康診断はするものの特殊診断をしないのは、総務の山口の多忙さにあっ
た。また受けさせようとするものの、多忙を理由に都合がつかないという社員も
居たりする。自覚症状さえないものの、この職業病に罹患していないと断じる
事は出来ない。
一方・・・。
エンメチの処理業者は居る。廃油となったものを回収するのだ。
しかし排水溝を介して調整池に流れているのは自然の理である。
なぜなら構内はコンクリート敷きであるが、間を貫き土壌まで染み入ると言われ
有機溶剤である。
水は高きから低きに流れる。仮に排水溝など無くても、じわじわと調整池は汚染
されているはずである。
焼却炉。
池を見下ろすように立つ。構造適合型というダイオキシン規制法を守る作りでは
なく、大型ではあるが15年前の錆びた焼却炉である。
ビニールラップなど塩化系の産廃物も焼却する事から、ダイオキシンが空に、そ
して池に舞う事は想像し易い。


このような環境の中、魚は死ぬこともなく、悠々と泳いでいた。
腐臭を放ち腹を横たえ無残に川面に浮いている住人を、今だ社員の誰しもが見た
ことは無かった。
また餌なども定期的に与えては居ない。
魚好きか心ある者が、弁当の食べ残しなどを思い立った時に、放っているに過ぎ
ない。
そこに何匹の魚が居るのか? 過酷な環境の中で、なぜ生きられるのか?
誰も関心は寄せてはなかった。



―――ああ、流れるね・・・黄昏は・・・
斉藤工場長を連呼していた声が、音楽に変わった。
放送が届いていないと思ったのか、機械に疎い女子社員がパニックに陥り、ラジ
オプラグを館内放送用の拡声器に連結してしまったのだろう。
今年ブレイクしたロックバンド、クリスタル☆ジェネレート。
黄昏という曲が、流れていた・・・。