箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

アメリカは馬鹿ではない。ルーズベルトは病死となっているが、貴様たち
憲兵を中心にしたスパイが暗殺した事を俺たちは知っている。あの国をこれ以上
追い詰めると人類は滅亡するぞ? トルーマンは講和を申し入れているのだ。
白旗を揚げているのだ。そしてな、貴様らは知るまい。白旗を揚げてはいるが、
アトミック・ボム(原爆)も完成しているのだ。この意味が解るか? 報復が大報復
を生む。石原はそのあたりを実に勘違いしているな」
霧が流れ眉間にほくろのある大男の顔を顕にした。


アトミックだと? 英語を使っている。なんたる非国民めが!!
宮村少尉はため息をつき、まじまじと男の顔を見上げた。
「まさに知流源吾大尉でありますね。貴方がここにおいでとは知りませんで
した。記憶によれば約三年半前日立鉱山に入り、その後行方不明との噂でした。
さて・・・大報復とは? される何かをわが国がしたと言うのでも? 貴方がしたと
いうのでも? ミッドウェイに現れた幽霊駆逐艦徳川御三家の水戸。
そう・・・警固衆(けごしゅう)、水戸の旧磯前水軍と共謀し、貴方が操っていた
とのもっぱらの噂なのです。本物の駆逐艦大風は、あの日、呉の港に停泊して
いた。ミッドウェイには参戦していない。噂が本当なら、水戸連隊も引き込み、
大日本帝国から離れた貴方がたはいったい何を目論んでいるのか?これが石原
閣下の理解出来ぬ点であり、田井閣下を狙う理由のひとつでもあるのです」
眉ひとつ動かない宮村は知流を見た事がある。その剛力もよく知っていた。
されど流石に泣く子も黙る鬼の東京憲兵隊少尉である。背後にいる部下も
ピクリとも動じない。
「耳がねえのか? 知流は駆逐艦大風艦長と言ったはずだ。 歴史を少しいじっ
てみたということだ。狂いから正(せい)に少しだけ、良い方にな・・・
幽霊駆逐艦か・・・呼ばれるのもそれも今はいいだろう、多くは語らんよ。
時代に聞くがいい。60年以上、これから貴様が生きていればの話だが、な。
ひとつだけ言っておく。この戦争はなァな、地球人だけの物ではないのだ。
絵を描いたのはなァ・・・異星の輩なんだよ。人間同士争っている場合ではねえ。
話ィそれちまったなぁ。・・・で、お前さんどうするね? その娘さんを渡すか? 
それとも石原の稚児さんを気取り、蜂の巣になるかィ?言っておくが、俺は気
が短けえんだな ? 知っていると思うが予科練魂は憲兵以上にキツイぞ。取締
りが役目の貴様たち。死に行く役目の我ら予科練憲兵はいい景色を見過ている
ぜ?死なないのだからな。なめたまねするんじゃねえぞ、なあ憲兵さんよぉ?」


山中幸吉がじろりと憲兵を見回した。それを合図にするかのように、一発の
弾丸が宮村少尉の頭を掠めた。
「・・・なるほど、知流大尉と予科練、そして勇猛で鳴らした水戸連隊が影に居た。
負けて当然だったのだろう。初めての敗北だ。だが、私も帝国軍人である。
異星とかの世迷言を聞く耳は持たぬ。このままおめおめと引き返すわけには行き
ませんな。よろしい。貴方がたも軍人なら、私と一本独鈷で勝負して貰いたい。
これでも銃剣の扱いは東京憲兵隊一でしてね・・・私が勝てばこの娘子を持ち帰
らせて頂く。私は石原閣下を尊敬し象徴と自負しておる帝国軍人だ!!」
宮村少尉は敬礼をした。死の香りが漂う礼であった。



「・・・だとさ、知流。硬い頭ァやっこくしてやろうじゃないか。されど
お前じゃもったいない。俺でも十秒もかからん。この馬鹿どもの頭を洗脳する
ためな。うち(常央大)で一番弱い奴をぶつけてみっか? なあ、宮村とかよ・・
弱きを知りな。おめぇが石原ならぁ、俺たちゃあ田井閣下の象徴さ」
にやにやと笑う予科練教官の山中。
「笑うとは無礼であろう! 武士が頭を下げ、漢(おとこ)を申し込んでいるの
だぞ!!」
声は鋭いが相変わらず宮村の眉は動かない。
恐らくは何度も修羅場を掻い潜っているはずだ。
宮村の据わった双眸は人を殺している。
劣勢。今度は、殺されるかも知れない。
ならば相打ちで死ぬ覚悟であった。


「なあ宮村少尉とやら・・・現実を教えてやろう。己が(石原莞爾)弱さ、
知らない世界があるのだよ。おいっ、立花団長!! 常央大学応援団の下っ端を
一匹よこせ!!こっちは丸腰で少尉殿と戦って差し上げろ!!」
知流が一喝すると「よしなにぃ、張替(はりかえ)茂、参る!!」という声とともに、
学生服姿の若者が薄朱の中から飛び出した。



三番鳥が鳴いた。
天は赤みを舞台に引き上げた。
赤子のように田井智音はすやすやと路傍に眠っている。
巨大な力の中に抱擁された安らか過ぎる眠りだった。