箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

霧が晴れつつある。
宮村憲兵少尉は気づいた。
田井智音を補足したのは、か細い路地のどこかの商店の小さな倉庫の影だった。
しかし違う。
倉庫どころか、家などひとつもないのだ。
さすがの宮村も眉をピクと動かした。
「宮村少尉、ここは、ここは、・・・・いっ、いったい何処なのです!?」
四人の東京憲兵隊の部下は混乱に陥っている。
答えようがない。風景ががらりと変わってしまったからだ。
何もないグラウンドの様であった。



これは・・・!?
戦慄を覚える宮村。記憶にある平安二段の型。
空手使いのようだ。
それも相当の使い手のようだ。
対峙する張替とかの細身の長身の学生が構えをとっている。
瞳がやけに静かだ。
幾分たりの隙もない。
―――こっ・・・こいつが一番下っ端だと言うのか・・・?
高名な空手家と戦い、一方的に叩きのめした事がある宮村。
学生の拳が己が体を隠している。拳は段々と大きくなり、視界を遮る。
嗚呼・・・とうとう体が隠れてしまった。
見えるものは拳しか、ない。
勝てはしない・・・
拳がまともに当たったら、俺は間違いなく死ぬ!!
質が違う強さだ!質が違う輩どもだ!!
修羅場を潜り抜けた経験が、目覚まし時計の如く震えている。
部下から受けた銃剣を握る手に汗が湧き出る。
―――蟻になってしまった・・・。捕まれて違う地面に置かされたようだ・・・。
こいつらは・・・こいつらは・・・只者ではない!!


より霧が晴れた。
広々とした運動場が眼前にある。
―――取り込まれていた。いつから、負けていたのか?
陸軍中野学校を三番で卒業。
プライドを初め、自分の何もかもが、音をたてて、崩れていく。
鋭利な刃物で切られた、己を否定する音であった。
こいつらは・・・こいつらは・・・只者ではない!!
二度心を疾駆した思い。


運動場の正面に建物があった。
宮村は眼鏡を外し、ハンカチで汚れを拭いた。
拭いた眼鏡をあるべき所へと戻し、再度建物を見た。
旗があった。
日の出のマークが見える。
より目を凝らした。眉間に出る皺。


翻る常央大学応援団旗。
團旗(セイル)は太陽よりも、赤々と燃えていた。


―――とてもではないが・・・
「勝てない・・・と言う事だなァな、憲兵さん? 張替、下がれ!」
「常央、予科ァ、張替下がります!!」
宮村に一礼し、若者は何処となく、走り去った。


「理解したようだな」
知流源吾が、宮村の肩に手を置いた。