箱舟が出る港 第二劇  五章 MMVウィルス

埼玉の12名の馬鹿者どもが乱パで獣になっていたその夜。
常盤製薬工業株式会社つくば研究所。
夕方。
めったにつくばには来ない代表取締役会長が突然に来社した。
あわてる管理職を尻目に、「いいよ、仕事を続けなさい」と玄関をくぐり
逃げるように会長室に入ってしまった。
「・・・取締役・・・暫くだね。ちょっといいかね?」
直ぐに雨貝元春取締役財務部長室の内線が鳴った。
総務課に用事があり、雨貝は会長の顔を見ていなかった。
「おいでなら、事前にご連絡して下されば・・・ 込み入った事情なら、
お部屋までお伺いいたしますが・・・お久しぶりに会長のお顔が見たいも
のですが?」
会長はそれには答えず
「・・・研究所で一番の正直者で、出世欲も金銭欲もない。部下の面倒見も
いい。そんな男は誰かな?」
ぬかるみの様な声であった。


「はっ? 」
雨貝はかって会長の直属の部下であった。
わざわざの来社の目的は雨貝に起因するようだ。
ここ数年会う事もなく話をした事もないが、話があるなら東京本社からの
電話で済む。
それがつくばまで来て、顔を合わせようとしない意図が解らない。
「織原茂樹厚生事務次官が暫定ではあるがつくば、そう・・・ここの指揮を
採る事になったよ」
創業者の渋い声が訝しさを物語っている。
「え? 現役の事務次官が、民間に天下るという例はあまり聞きませんな?
何かあったのですか?」
事務次官は官僚では大臣に匹敵する最高位だ。
「・・・実は僕も知らんのだよ。前例なき人事だな。ウチ(常盤)は世間様に
恥たる行為はしていない。また不可思議なる人事は国家公務員法も無視して
いる。・・・これは何かあったどころの話ではないよね・・・」
二人での酒の後、雨傘の中で送られた事を会長は思い出した。
いい男だった・・・と。
「・・・でしょうね。会長、私直ぐにお部屋までお伺い致します!」
「それはダメだよ、雨貝」
「どうしてです?」
「君の顔をまともに見れないのだよ・・・ロビーに君が居なかった事が幸い
でした。よく尽くしてくれた。せめて、せめて・・・常盤に尽くしてくれた君・・・」