国家の為に死ぬということ 四

予科練の概要は前述のとおり。
ここからは特攻の中でも名高い戦闘機による体当たり、神風について書いてみようと思う。
特別攻撃の始まりは昭和19年10月25日とされる。
関 行男大尉が5機を率い零戦で敵艦船に体当たりした時が始まりとされるようだ。
それから一年程度の間に数千名の若者が戦死した点で、この時期が特攻作戦の中核をなしたことは間違いないと思われる。
しかし特攻隊は敗色濃厚となった戦争末期に突如出現したのではないことも前述のとおり。
期限を遡れば昭和7年上海事変の中に登場した【爆弾三勇士】にたどり着くといわれる。



爆弾を抱えた三名の工兵が鉄条網もろとも爆死したことが報じられている当時の新聞の復刻版。
世論は熱狂的な反応を、見せている。
20歳そこそこの名もなき若者が、集団で作戦成功のために自らの命を捧げるという話に、多くの日本人は感動したようだ。


新聞報道・・・


街の古老にこの話について聞いたことがある。
戦争中、駆逐艦雪風、他に乗っていた近くの方である。
すると鉄条網を爆弾などで何も破壊などしなくとも、作戦は成功したというのである。即ち網さえ潜り抜ければよいのであって、切断する鋏のようなもので簡単に済んだはずだと。中国の鉄鋼などたいしたものではなかったらしい。また三名の行動は独断であって、指揮命令の下追行されたものではなく、刹那的行為であり、ある種の蛮勇だったとの説も聞いている。



お国の為に殉じた三人を悪くいうつもりは毛頭ない。
幾星霜語り継がれた巷間流布されている通念を破壊する頭脳も幸い持ち合わせていない。


国威高揚の折りには英雄伝説がつきものである



古老の話が本当なのか、書籍でしか知り得ない行動が本当なのか、それは解らない。



ひとつだけいえる事、戦争など知らない若造でも知りえたこと。
国家は言論統制が出来たという事実だけである。


〜続く〜



茨城県加波山事件、群馬県飯田事件など各地で勃発した自由民権運動史上における激化事件を丹念に追う。急進的な自由民権論者の実像と政治姿勢を明らかにする。言論による活動を弾圧された論者の中には、直接行動によって政府の転覆を計る者も現れる。その過激な行動の動機や攻撃の目標、政治構想に着目して運動に徹底する思いを、豊富な資料を駆使して分析をしている。尚興味を持ったきっかけは、玉水氏の末裔とかつて同僚だった事に起因してます。