祭り(少年の日) 六

murasameqtaro2011-03-02

尾崎のように、この支配からの卒業?・・・ならばいい。何か残せたはずだ。



そんなカッコのいいものではなかった。倦怠からの卒業だったのかも知れない。



昨日県内の高校は卒業式を終えた・・・
あの日と同じ三月一日。
今だから笑い話で済ませるけれど、



俺はその日、式場になど居なかった。



怪我や病気とかではない、行きたくても


「お前は来なくともいい」のミジメな身分だったのでした。



仕方がないので、家でひとり、ジンなど飲んでいたのを覚えている。式が終わり、各々分散し合流して、お祭りをやってんだろ・・・などと想像していた時間頃。
「サ店で待っているから来いよ」との電話があった。けれどもなんともみっともなく、ミジメで格好悪くて、行けたモンではなかった。その後ジンが回り大いに吐いた事を、昨日の事のように鮮明に覚えている。



俺の高校の卒業日は、本日三月二日付けである、乾杯



高三の夏休みが終わり、中秋に入る頃、俺は学校へあまり行かなくなった。行ってもカバンなど持たず手ぶら、遅刻・早退は当たり前。
普段もそうだったが、特に試験の前など勉強など何ひとつせず、学校近くの友人の家でマージャンなどやっていたり、地元の高校のヤツラと単車で遊んでいたり、付き合っていた同校のひとつ下の娘とデートなどをしていた。






煙草を吸い、ラッカーシンナーを吸い、トルエンにヒートアップし、単車ですっ転がり、髪はくるくるパーマで、ろくでもない学生だったな。
野球をやりたかったが当時は公立ながら強豪であり、見学してそのハードさと片道一時間強の通勤時間を考え諦め、体が柔軟だったので体操部に入る。
やっているうちに気づく。体操をするのには体が大きすぎて、いくら熱心に練習しようと小回りが利かないのだ。オリンピックなどを観ても殆ど小柄でしかしガッシリ型である。筋肉こそついたけれど限界を感じ、捻挫したのを機に二年の夏で辞めた。
アタマも悪く勉強も出来ない・・・ならば何をするか?
この頃から目標が無くなっていった。



数学・物理などはシマイにはとうとうついていけず、限りなく零に近い点数が少なからずあった。理系の授業などには、教科書などどっかにいっちまって、違う本を出していたな。幸いに文系の教科は、何もせずともかろうじてクリアはしていたが、出席日数がどうにも足りなくなっていた。
振り返れば一月も終わると、自由登校に入っていたはずだ。進学する者に図書館を開放していたのである。
ところがこの俺は、受験勉強どころか必要日数を稼ぐためであり、哀しくも赤恥をかきながら下級生などに混じり、勉強をやり直していた。けど数学はもはやお手上げ状態だった。
この教科は一度躓くと取り返しがなかなか出来ないものである。
それは三流の文系だが、こんな男が間違って大学などに合格したり・・・世の中は解らないものだ。


「なんとか日数はクリアした。どうして今までそうしなかった?卒業は出来る、安心しろ。ただしだ、そのぐっちゃぐちゃな髪を切り、ストレートのズボンを履き、丸坊主にする事、いいな?それが皆と一緒についたちに卒業出来る条件とする!」
天然パーマに加え本当のパーマをして、初期の山崎まさよしのような、鳥が来て子供でも置いて行きそうなヘアースタイルであった。



「いや・・・切りませんよ、卒業出来るならいつでもいいっスよ」
と言った途端に柔道をやっていたごつい担任様の、でっかい手の平が横っつらにビーンと飛んで来た。
半ばダブリを覚悟していた。やって来た事を振り返れば、ダブリなどちっとも不思議ではない。まあそれだけは絶対に嫌だし、ならば退学して大検でも受けようじゃあねえかと、不安ながらも突っ張っていたから、安心はした。





「なんで素直にならん?アタマなどまたすぐに生えるじゃないか!」
とか怒鳴られた刹那、またビンタが飛んで来た。鼻血が出た。今なら先生様にとって大変な危険極まる行為だが、当時はこの担任によく殴られたものである。
余談だがその先生には今では感謝している。二年前に定年になり、母校で講師をされていると聞く。



なぜそうなったのか?
この学校が嫌で嫌で仕方が無かったということが根底にあった。
体操をやっていた時はまだマシだったけれど、辞めた途端に無気力が増幅して、おかしな傾斜を転がり行く。もはやどうでもよくなってしまったのである。
偏差値、それは地元の学校より当時として15程上の学区外の学校だったけれど、俺としてはせめて地元かそれに近い学校、いくら馬鹿学校でも親友が沢山いた、そっち方面に行きたかったのであった。



親の強い意向が倦怠の下地にあったのでした。
〜続く〜

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なっていないと信じたい(w)けど詩はとてもヘタだなw

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何も出来なかったと思われる右のヒゲ。こいつが居なかったら今頃、まだ?

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「微熱少年」MOVIE SONGS

「微熱少年」MOVIE SONGS

年上の人が好きだった。自分は短気でわがままだったし、年上の人に憧れを抱いていた。多分ツルゲーネフの、初恋、の影響もあったかも知れない。けれども心だけはあの頃と同じまま、軽い熱を持っている。年上だけは縁が無かった。


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