教師様に思うこと〜大津市いじめ事件から〜

murasameqtaro2012-07-31


生徒、学生の大半は、学校で教わるものの、ごく僅かしか
真に学び取ることはなし。
その責任の半分は生徒、そして残りは教師のもの
困ったことに生徒・学生は自分の責任について
ある程度自覚している子が多いようですが、
教師はそれを意識していないことが、確認出来ました。



教師の責任とは、
大部分の先生様が自分の生きるために教えるが、

教えるために生きていないようである。

やり甲斐とか使命感なぞくそくらえ、
ゼニ金を稼ぐために働く人が圧倒的に多いことは、
高度資本主義経済の中では至極当たり前だろう。
自分もそうだが、
精神的な価値などすっかり忘れちまって、
たま〜〜〜〜にそれを大切にする人物が居たとすれば、
ど阿呆か変人のように見られてますね。



教師様は形骸化された指導要領(マニュアル)に添って
既成のルーティンワークに従って、
教科書の内容を
教壇でくっちゃべることが商売と思ってるらしい。
それさえしていればよろしいわけであり、
学校の先生ほど やり甲斐も誇りもない商売はない
と思われる。



そんなことで

子供の魂を教え育むことなどとても無理無理、

担任、隠れてないでさっさと辞表を出しなよ?



自分が知らんことは「努力が足りん」などと言い張り
学習塾にお任せする寸法、もってのほかだ。
気楽な稼業だ。
責任転嫁という処世術も

他職業に従事する人々より上手い!




昔のことだが、
都市銀行に就職出来なかったら教師になる、とかで
教職課程を取っていた者がいた。
理由・・・食いはぐれが、ない、
休みは多いし気楽である、だった。
これでは一生の基礎となるお気楽に扱われる生徒は

たまったもんじゃない罠。
生徒さんは犠牲者である。



教職は聖職である。
その職に対する使命感と人としての謙虚さがなけりゃ
人の魂を預かる教師という職に

就かないことをお勧めしたい。

自分が食うため、楽したいためだけで、
教職に携わる者は
生徒を食い物にしいてるのとおんなじ。




教師はサラリーマンではなく、

むしろ職人や芸術家であるべきだ。

それは何よりも己に激しい道であろうな。



外交官ではあるが、杉原千畝
いわゆる命のビザを発行した人物である。
あの托鉢僧侶のような献身ぶり、
その道の覚悟や誇りを持つ者に許される道が
聖職と捕らえたい。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★
あ〜あ・・・
またひとつ歳をとっちまう。
明日誕生日だよ。
嬉しくもなんともない。
あれから一年かよ、早いなぁ。
まあ最後の夜だな、ダルイが酒でも飲むかな。

うむぅ・・・今の立場がみっともなく
涙のバースデーだなw


★★★★★★★★★★★★★★★★★★
暑苦しく眠れない時は、

無理に寝ようとしないことです。

どこから来たのか?

車に寝転んで夜空を見上げていると、
毎晩じゃないが、流星が観られます。

願いなど一度も叶ったことはないけれど、
宇宙の広大さを改めて認識すると、

自分の悩み事など実に小さく思え・・・

熟睡することが出来ますよ、結構。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★


杉原千畝物語―命のビザをありがとう

杉原千畝物語―命のビザをありがとう

人間としての責任・・・
それを見直すにはお手本になる一冊でしょうね。
特に公職に従事する方、必読です。
感想文書いて俺に提出してくれ。
多分全員零点だろうがな。