箱舟が出る港 第二劇 一章  エピソード

murasameqtaro2007-08-13

燐がゆらゆらと
燃えていた。
果てしない宇宙らしき
空間に、大きな
人魂が燃えていた。
いつの間にか現れたそれは、
山口の隣に語りかける
ように、静止している。
暑さも寒さも感じられない。
善も悪も感じられない。
勿論恐怖なども
ない。何故か山口には、とても懐かしいものに思われた。
よく観ると燐の炎に囲まれ、雲水姿のような人影が、うっすらと確認
出来た。
「まあ、見守りましょう」
燐が揺れ、中からのそんな声を、心が捕らえた。
「あなたは誰ですか? 僕と同じように、死んだのですか?」 
突然の不気味な来訪者に、山口は驚かなかった。
「鍋島慈形と申します・・・死んではおりませんよ。確かにここはヘリオ
ポーズの空間です」
ヘリオポーズ【境界】である。太陽系の太陽から流された大風は、銀河系
の磁場とか、星間物質と衝突すると境界を作る。
七色の光源と宇宙船ボイジャー1号との間に見えない壁があるようだ。
恐らくは強力な磁場が存在しているのだろう。
「僕の考えている事が、よく分かりましたね?」
山口は炎の中の人影をゆっくりと観た。声に出しての会話ではない。心臓
あたりに文字が刻まれるような会話であった。
「あなたもこれと同じだ。生前、おっと・・・戻す事は出来る。失敬、死んで
いると今は申し上げましょう。その生前ですが、性格を殺し、意識的に壁を
作られていたようで? 駄目ですよ。自由に生きればよかった。悲観的になる事は
ないのです。いいですか、ヘリオポーズが破られます。破られたら、あなたを
下界にお戻ししましょう。まだ死ぬには、早い」
鍋島・・・?聞き覚えのある名だった。誰だったか?
ボイジャーは三門の砲塔を一斉に揃えた。すでに覚えのあるその形を一掃し、
形状記憶合金のように、宇宙船は大きく姿を変えていた。
菱形に変化した頂点に三門の砲塔。そして中心に赤い光が灯った。
何かが動いている。山口は動くものを必死で捕らえようとした。
―――遮光宇宙ヘルメットを被っている。人間か?
「人間などではありませんなぁ。かと言ってロボットでもない」
鍋島がフォローするように、山口の心に文字を刻んだ。
するとヘルメットがゆっくりとこちらを向いた。
―――・・・な! あれは、あれは、熊ではないか!?
霊体になった今、少しばかりの驚愕が足のあたりから登ってきた。
感情のなかった山口であったが、下界に戻されるかも知れないと思う。
「戦闘グリズリーX0・・・とか呼ばれているようです」
いよいよ鍋島を囲む燐の炎が強くなった。
―――ようやく分かった。久しいが、鍋島とは我が先祖を守る寺の住職では
なかったか。
その時ボイジャーの三門の砲が一斉に光を射出した。
 
 
茨城県南病院。
株式会社樺沢工業所の面々が、玄関入り口の小さな噴水のあるベンチに腰か
けていた。
生産管理室長の具円が、副社長の樺沢光記に「大丈夫でしょうか、山口くん
・・・?」と不安げな顔を向けた。
煙ったいものを遮る手は、「あの程度の薬では死なないよ」と、さすがに
小さな声ではあるが、返した。
拳が固まる。父は知らないだろうこの力を。あるいはこの日の為に、鍛えて
来たのかも知れない。毎日巻藁をめがけ、たたきつける拳は、それが自己流で
あっても相当な破壊力を与えていた。
「お父さん・・・それ本気で言ってるのかい?」
煙草などを吸う父の横に座った辰巳は、ふう、と息を吸い、「ああ?」と目を
むいた。
「なんだお前、その目は?」
「見えている目だ、親父さん。そっちの目は濁っているね」
「なんだと?」
「たいした博士号だね。つまり・・・」 こういう事だよと言うと同時に、
辰巳は父親に拳を叩き付けた。