箱舟が出る港 第二劇 四章 分岐嶺

―――おおきなのっぽの古時計・・・
平成18年秋。
金木犀の花咲く秋、少女の歌う歌が聞こえた。
とても小さい少女だった。
・・・「ろじい」さんの時計。
そう続けている。
ろじい、さん?
ろじい・・・。
いったい誰、何者を指すのか?
少女ゆえ、回らない口のなせる間違いだろうか?
「ろじいさんの生まれた朝、買ってきた時計さ」
30歳前後の母親が少女とともに歌っている。
ちょっとおかしいと、母子ともに思う事がある。
ろ?
"お" か、"を" ・・・なのでは?
おじいさん、をじいしさんのほうが
響きが良いのではないか?
確かに祖父は"ロジイサン"の敬称が一般的ではある。
どうでもよい事だが、"オジイサン"何故か、正しい気がする。
疑問は何処から湧き、霧散するのか、よくわからない。
おかしいと思うが、なぜ、どこかおかしいのか、母子どころか、歌を知る日本人
全ては知らない。
語り継がれたものだから。
納得させる答えであった。
金木犀の香りは、薔薇の匂いがした。


――きれいなはなよめやってきたその"し"も動いていた。
そのし。其の詩(し)ゆえ。
ちなみにその世界の歌詞の二番である。



その数ヶ月前。阪神甲子園球場
地区代表顔ぶれである。
就中(なかんずく)二道を挙げよう。
北海道代表 北海大付属高校。中標津商業。
満州道代表 大連学院高。私立満州学園。

いずれも初戦敗退だった。
その他都府県は、常連高が並び、勝ち上がった。






1942年6月初旬。
B-25爆撃に見舞われた東京。
神なる国家が五十名近くの死亡者を出した事に帝国国民は驚愕を覚えた。
天皇陛下の居住する場所近くまで、爆弾は落ちたという。
本土まで飛来した鬼畜米英。
高射砲は殆ど無力に等しかったという事だ。
民は馬鹿ではない。
旗色悪き戦況を誰もが知っている。


道化師は民を欺く為にある。笑い無き哀しき舞いを舞う。
―――払拭しなければならぬ!
1942年6月5日。
南雲忠一連合艦隊司令官は、カラスを観ていた。
ミッドウェイ海戦間近。
まだアメリカ太平洋艦隊の行方はつかめない。
空母赤城から加賀へとカラス異は飛び去った。
加賀の艦橋に止まり、東南の海を見上げていた。
―――これから焼け死ぬというのに、なぜ、そこに、止まる?
そもそもこんな場所にカラスなどいるはずがないのだ。
不吉な予感がする。

真珠湾の勝利は仕組まれたものでもあり、まぐれでもある。
ならば、私はそれに乗じ、ハワイ本土へ第三波の攻撃を指示するべきだった
のだろうか?
カァ ・・・黒き一点が啼いた。

物量に乏しい帝国海軍は、一隻の船をも失ってはならなかった場面。
―――局面は変わっていたかも知れない。
東京が爆撃される事は無かったかも知れない。
繊細な南雲。後悔しても遅い事は解るが、足に火が付いたカラスの心情までは
アメリカの作戦よりも、より解らなかった。
―――なぜ、そこにいるというのだ。
南雲は双眼鏡を目に押し付け、敵戦隊よりも、カラスを凝視していた。
旗色悪き戦況。
カラスは標(しるべ)のようにそこにいる。


南雲は双眼鏡を部下に渡し、赤城から空母加賀に裸眼を沿えた。


歴史上有名な分岐点。
運命の五分間。
いよいよ時間が迫っていた。



カラスは北東を見ている。何かを待つように。
アメリカ太平洋艦隊はまだ見つからず。