街族(町内会)

田舎では寒くなると死ぬ人が多い。
いや、高齢者が多いから、暖かさに慣れた体、
骨皮になり寒さに耐えられず、ってところか。
これが大雪がふる寒い地方ならば、
逆に夏に亡くなる老人が多いかもしれない。
師走の街でまたひとり亡くなった。三年連続である。



齢にして百歳だという。
天寿を真っ当したというか、
葬儀場で泣く人が少いだろうという思いが、
少しは心を落ち着かせる。
あの極寒のシベリアで強制労働された過去を持つ。
復員には街の人々が迎えにいったという。
やせ細った体に割れたメガネ、
生きて帰ってこられたことが奇跡のような格好だったと。


死んだ本人の思いは知るよしもないけれども、
百歳まで生きて思い残すことは少なかったとおもう。



田舎の街にはまだ組合制度がある。
まあ班という名称で、葬儀があれば手伝いと称し、
当家に集まる。
今夜七時から歩いて三分もかからない当家へ、
葬儀の次第の話し合いに出かける。
上は80歳から下は20代後半の男性。
20代は若くして父親を亡くしたことを意味する。
六十代が多く、私など下から二番目である。
組合員八名、
おそらく明後日に行われるだろう葬儀の準備を話あう。



といってもたいしたことではない。
葬儀じゃなかったら年寄りのお茶のみに等しい。
帳場の人、寺への連絡、
そして葬儀場でお返しを渡す者の役割分担。
柱はこの三つだけである。
二時間も時間を取る内容でなく、
長くても一時間で終わる作業だ。
そして葬儀の日も帳場以外はたいしてやることもない。
JAの職員が入るからである。



当夜は話し合い、明日はお返し物の手配、
明後日は葬儀場での雑用。
三日間の時間を取られる。
おそらく若い者は文句をいっているのもいるだろう。
何しろ自分自身
「田舎はいやだいやだ」と家の者に散々文句を言ってきたし。
街のただの知り合いの年寄りのために
潰された約束も多少あった。
このやろうと。



しかし今両親とも病気がちで、ふたりとも入院して、
ひとりのつらさが身にしみたことを鑑みると、
悪い制度ではないと
つくづく思う。
親戚は一杯いるがすぐ近くには住んでいない。
こんなとき助かるのがこの街で一緒に暮らした魂の流れが、
普遍的とも思える暖かさで縷々と続いていることだ。
頼れるのは向こう三軒両隣りである。




俺を知らなくとも俺の親父や叔父をよく知っている。
君を知らなくとも君の母親は俺と同級である。
街には血の結びつきよりも
仲間という糸があちこちに張っているのだ。
それは決して冷たく細くはない。



当家に集まり葬儀と関係のない話をする高齢の方々。
一時は
「何くだらない話をしている、早くおしまいにしろ」
と心の中で長老さんに文句を言ったものだが、
くだらない話もまた付き物なのである。
セットで入っているのだ。
さすがに若い方の死に関しては葬儀と関係ない話はしない。
この家の人なら
笑い話もいいだろうとの長老の判断なのだろう。
そしてひとつの祭りでもあるのだろう。
これはその歳になってみないと理解出来ないのだが、
長寿を祝う馬鹿話なのではあろう。


そして明日も太陽は昇る・・・。



いずれ親族だけとあとはJAや葬儀屋だけで全てをする、
という流れもここにも来るだろう。
都会はそんなものだ。



自分が死ぬまでには組合などというものも残っておらず、
外からの転入者が多くなる可能性を秘め、
街族のふれあいというものも少なくなるだろう。
都会と違い言葉だけ形だけではない田舎の信頼関係。


合理化という名目ならまだ許せもするが、
左翼の台頭で、このような伝統が
いつかなくなる日が来ると思慮すると
今のうちに駆逐しなきゃならない。

日本に革新はいらんよ。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

明日はイブか・・それどころではない。
暫く逢っていない娘の所へ、突然行こうとしたけれど、
それも無理な状況になってしまった。
フラワークリスマス電報の手配が今おわった。
来年こそ、そう来年こそと・・・。



人生は一度きりの夢

それにしてもどうして寂しさばかり、つきまとう?
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
皇室がなくなれば、美しき日本の伝統文化もなくなる。
上記のような組合班も急速になくなるだろう。

困る。
なぜか?

自分は保守的な地に生まれた日本人だからだ。
保守的国民なら、皆思うことだろう。
これ以上日本独自の国体を壊したくはない。

天皇陛下、万歳!

お誕生日を心よりお祝い申し上げます。