日本国憲法


生命を受けてから、健康で文化的な最低限の
生きる権利が、人間にあるのかどうかは知らない。
今おかれている自分の立場が、
健康で文化的で最低限なのかどうかは知らない。


むしろそんなものはなく、
そうしたいならオノレの力で勝ち取れ。


原則はそこにあるのだろう。



しかしながら人間は弱い生物である。
一人前になるまでは親をはじめ
周りの大人たちの擁護なくしてはおぼつかず。
魚の如く相当数の子供を産んで、
数匹だけ生き残ればよしとういう生物ではない。
母親の子宮の中で選別された一体なんだし、
ひとりひとり大切に育てることが肝要となる。
なんとなれば子供たちに
よりよい環境を残して死んでいくことが
親のつとめである。



国家社会が親の肩代わりとして
責任をまっとうしてくれるのならば、
実にありがたいことだと思うし、
それなら最後まで完璧にやって欲しい。


健康で文化的で最低限の生活=生きる権利。


マジものでそうするつもりがあるんなら、
それ相応な国家社会の仕組みを、考察すべきである。
最低限の生活の権利を有する手段が生活保護なら、
謳っているように日本国民だけに適用すべきである




多様な側面から、見直し改正する必要あり。