箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

murasameqtaro2007-10-14

水戸市、常央大学。
2006年5月下旬。
太田垣英彦は常央で
教鞭を取りながら、
付属大洗高校野球部の
監督をしている。
海洋生物学太田垣研究室
で森内幸男と雑談を交わしていた。


七・三に綺麗に分けた髪が乱れ
「えっ! 磯前を夏のエースに育てるですってぇ?」
驚いた太田垣は再び新入生のデータをひも解いた。
顔もよく覚えていない。
磯前晴海。
大洗第五中学出身。
173センチ62キログラム。
遠投73メートル。100メートル 12秒8。
左投げ左打ち。
球速MAX122キロ。見るべき変化球なし。
何処にでもいるような普通の中学生投手の数字である。
卓越したものが何も無い。
どこかに将来伸びるべきも素質あれば投手以外の選択肢もあるのだが、常央
大洗野球部では戦力として使えないだろう。
森内は磯前の何を見たのだろうと、好々爺然とした目の前の老人の顔を呆れた
ように見つめた。
思い直すと相手は甲子園の大舞台でも一筋縄でいかないタヌキジジイである。
老獪な森内総監督は自分の知らない何かを見たのかも知れない。
一年の新入部員の数は58名。
全国中学選抜野球のベスト4の投手や、シニアリーグでその名を轟かせた全国区
の速球投手もこの中にいる。
磯前などは一番下から数えたほうが早い実績の選手だった。
勿論野球推薦でなく、一般入試で入った少年である。
「駄目だな、郡司は・・・ありぁ夏を待たずに凋落させられるなぁ。まったく
女って怖いねえ」
太田垣の驚きなど気にせずにのんびりとした風貌でニコニコ笑っている。
まるで収穫を終えた農家の親父のようだ。
「それより郡司に厳重注意しましょう。彼にとっても最後の夏ですからね」
「今はあんたが監督だから、夏を戦うメンバーに関して俺は何もいわないよ、
これはね。雷が落ち、転校生とやらが魔法のように出て来た。今年は長い夏
になる気がすっぺ・・・ありゃあ・・・千葉のチームと試合した日だったな」
「・・・ええ、対習志野商業でした。観ていらっしゃたのですか?」
「いやいや、ちっと眠たくなってな。肩肘ついてあの近くの桜の木の下でうとうと
してたんだがね。副理事長など暇で暇でなぁ・・・」
「そうですか。申し訳ありません。ちっとも知りませんでした」
すると森内は直撃された桜の近くの桜、の下にいたのだろう。
あの日の練習試合の中。
太田垣も不思議に思った快晴の中の雷の一撃は、美少女をも出現させた。
その時の磯前の動きを太田垣は見ていなかった。
いつも頭の片隅にあった、あの日の不可解な現象。
―――采配に俺は夢中だった。選手も習商サイトも野球だけを見ていた。しかし
森内さんは雷が直撃した後の少女と磯前の会話を聞いていたと言うのか?
確かにアレは俺にとっても説明が付かない出来事だった。
だが・・・タヌキジジイであれば・・・あるいは始終を見ていたのか。
「あんたは甲子園に出て一回戦で敗れはしたが、恵まれた環境で育ったいい投手
だった。その後野球を辞め大学では剣道に転身した。だがなぁ、俺は19の時から
56年間職業監督をやっているいや、やっていた。六畳一間のアパートで生活的
には何度も地獄を見たっぺ。年の功とでも言うのかな?世間の事は何も知らんが、
これでも野球と人を見る目に関しては頭がいいんだよな、これはね」


太田垣はとぼけた口調の森内の次の言葉を待った。