箱舟が出る港 第二劇 二章 メタモルフォーゼ

murasameqtaro2007-10-15

梢に芋虫が
上っている。
幼女は何も知らない、
いずれ美しい蝶に変身
する事を。
また自らも美しい少女に、
そして女に脱皮する事を。
「怖い、お母さん!」
幼女は悲鳴を上げると、
公園のベンチに座った母親を
めざし、駆け足で逃げてきた。
30度以上あるだろう、
五月の下旬の事であった。



雲ひとつない蒼空から、突然の雷の一撃は桜の木を破壊した。
一抹の不安がある。学問を始め学んで来たものはデタラメだったのかと?
超常現象・・・。科学者はそれを信じたら終わりである。確たる法則の下に
日常は流れて行くものだ。
生真面目な太田垣は知りうる限りの学者、書物、ネットを通じ調べたが、そんな
例は世界の何処にも存在しなかった。
似たような現象にプラズマがあったが、木をなぎ倒し美少女を送り込む等の芸当
は出来るはずがない。テレポートなどはこの世にありえないのだ。
しかし桜の陰で密かに試合を見ていたとは思えない。何らかの力が働いた事は
間違いないだろう。
地球はまだまだ人類に、その全てを教えていない。
あるいは違ったものを見せつけ、せせら笑っているのかも知れないのだ。
確かに何かがあった。超常的な何かがあったのだ。
雷に乗ってきたと、太田垣は解釈せざるを得ない。
「どうだ、あの娘は」
野球部員に何度も聞く。
「すげえ美形で、頭も良いし、あんな子見た事がありません」
そろいもそろって頬を赤らめそう言う。
それはそうだ。普通の子はあんな表れ方などしない。
系列高ゆえ、そこで教鞭を取っていないせいもあり、精査出来ず白昼夢として、
無理に解釈し、なるべく忘れようとはしたのだが―――



―――かぐや姫か。
高月なる少女は、そう呼ばれているとの噂を聞く。
多感な高校生はニックネームをつけるのが上手い。
そして真実を見抜いた感性だったりもする。
太田垣は若い感性を思いながら、お茶を無遠慮にずるずるとすする総監督森内の
次の言葉を待っている。老齢な感性は経験という名を持つ。
確かに野球に関してはプロの監督以上の炯眼を持つ森内である。
遠い昔森内幸男は茨城県はおろか、全国でも屈指の東大進学率を誇る高校の野
球部の主将だった。
しかし物理学とかの学問は高校レベル以下のはずである。
老体は五十年以上前の学問など、忘れているだろう。
適った形というものがある。野球ではそれをオーソドックスと言う。
運動生理学の視点から、近代野球はまず基本に忠実な練習をする。
ところが森内はそれをしないのだ。基本よりも素質重視。素質があれば練習
などしないで遊んでいろ、などと言う。
2003年夏の甲子園
一点のビハインドで迎えた八回表ノーアウト一塁。
打者は八番。
「ここは絶対バントの場面ですね」
テレビ解説者が言う。まずは同点にしないと負ける。
ここまでの打席は全て空振り三振である。
ところが森内は強攻策でビッグイニングを作ってしまった。
結果は7-1で勝利する。
決勝では県予選はおろか練習試合でも登板の無かった補欠を先発させ完封
勝利。
森内が指揮を採った試合は解説者の予想はひとつも当たらなかった。
卑しくも国営放送に呼ばれた解説者は「野球が解らなくなった」と森内の出る
試合は拒否するという事態になる。赤恥を掻きたくないのだ。
人はそれをマジックという。
「いやあ、子供らが勝手にやっているんですな」などとインタビューでとぼけて
はいる。
しかしその裏には天性の感がある事を太田垣は知る。
その感は当たるだろう。しかも突飛な発想を太田垣にもたらすだろう。
天才を知ってしまった。
―――もしもこの人が学者になっていたのなら
雷の意味は何か?
あれは超常現象だったのか?
あの少女は何者なのか?
オーソドックスな学者に回答は見つからない。しかし森内ならば。
天性の感を持つタヌキは、まあ急くなというように、相変わらずすっとぼけた
顔でお茶をすすっていた。