箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

murasameqtaro2007-11-06

―――味噌ラーメン
300円なりか。
相変わらず、安いな。


コインを居れ食券を買う。
万札5枚、【3千円札】が1枚。
財布の中には小銭がない。
背後から肩を叩く物がいて、
太田垣英彦は振り向いた。
「グラウンド以外で会うとは珍しいな。今日の講義は、その後の予定は?」
低い声だが迫力がある。
その筋の者とよく勘違いされるごつい男がにこにこと立っていた。
菰野か。誰かと思ったよ。3時半で終わり。その後大洗に行き、水戸に帰る
のは7時頃かな。いつもここで食うのかい?」
菰野広重。体育学部助教授。付属大洗高校の野球部非常勤コーチ。
「そうだ。学食はいいよ。構内のコンビニよりいい。通称ブタ食というらしい。
俺のような貧乏者にとっちゃ大助かりよ。ブタの気分も味わえる。奢ろう」
「貧乏者に奢らせてスマン」
「いや、今夜奢ってもらうつもりだからな。5万もありゃあ屋台で十分」
「なになに、5万も屋台で飲むつもりか?」
「おいおい、俺はふたりだけと云っちゃいないよ。エンダンを連れて行く約束が、
パチンコでスッちまってな、小銭しかねえんだよ」
「応援団、どっちの? まさか・・・」
「高校生に大っぴらに飲ませるわけねえだろ。今度は知流の方さ」
「知流だとぉ! 奴ら5万で済むか。何人来るんだ?」
まさかが当たって、寒気がした。高校生のほうがどれほど良かったか。
「知流と四天王、それと空手とボクシングの若者頭がふたりの都合7名だ。寂しい
ならもっと呼んでもいいぞ?」
「おい、冗談じゃないぞ。あの連中ならいくら金があっても足りない!」
勘弁しろと財布を隠す太田垣。常央の給料はいいが家のローンが大きい。
「大丈夫。その時はツケにする。俺にとっちゃあ、身分証明書は融通手形以外の
意味はない」
さあ食おうぜと2枚の食券を買うと、菰野は悠々と学食へ入っていった。
―――いつも勝手いいやがって・・・
憎めない菰野の背中を見つめる太田垣だった。




真実を隠す。
人の死に関わる真実ならば、隠蔽するには至上の苦痛である。
蘇りつつある亡霊。戦争という名の巨大な悪意の影だ。
時間が刻々と迫っている。
打開はないか? 標はないか?
歴史に埋もれた一粒の砂。探すことは容易ではない。
市島典孝常央大学学長はお忍びで来る来客を待っていた。
市島は医学部長でもある。専門は脳外科。
冷凍睡眠した女性が、常央医学部管轄の地下の冷凍室に眠っている。
正しくは、何者かにされた、のである。
氏名、田井智音(ともね? ちおと? ちね? ちおん?・・・)
いわゆるモンペに、赤き糸でその名。
東条英機内閣発足」年号不明。
一枚の新聞の切り抜き。
歳の頃十代半ば乃至二十歳。
着衣及び所有物から考察すると、昭和15年から20年の間に冬眠に入る。
何らかの理由により、眠らされたものであろう。
外傷なし。体冷たし。両手両足、それぞれ10本。奇形か。外見的にそれ以
は精査すべき所身は無し。生体反応高し。直ぐにも目覚めそうな気配なり。
栄養源、不明。甚だ実に不可解な人体なり。

―――田井? たい・・・。それほど多くない苗字だ。同じ茨城。もしや太平洋戦争
開戦時の日本国首相、田井一馬と関係のある者か?
田井一馬は筑波の出身だったと記憶する。

東条英機はこの日本の歴史の中で、首相にはなっていない。
1941年初秋・・・海軍青年将校により暗殺された歴史がある。
―――田井家の詳細は追って話そう。智音、とりあえず便宜上ともね、と呼ぼう。
田井家に居たかどうか。親族姻戚を含め、近い者か。関係ある者か。至急調査さ
せる。

内閣総理大臣高根沢雄一郎との密約であった。