箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

空を思い出のスクリーンにする。
様々な形の雲。
父親、母親に似ている雲は、どれか? あれか? おぼろげだ。
喉仏の形、乳房の形。
父よ・・・雷雨の如き強さを教えたまえ。
母よ・・・そこから乳を落として欲しいと願う。
見せてくれ、その顔を・・・。
風! 弄るな、そこを動くな!!
花嫁など、幸せなど、俺は望まない!!


親とはこういうものだ。
例え捨てられた身であろうとしても。


振り向きながら風が遠ざかる。
・・・ああ、今日もまた崩れちまった・・・。
人様なみに、目を閉じている俺は悲しい。
オムツのなかった兄妹が哀しい。



ポンコツスバル360
ルームミラーに写す自分の唇が、歪んでいる。
真綿のハンカチでミラーを磨いても、真っ白な画用紙は写らない。
夢にうなされる夜は、いつだってある。


菊村はかぶりを振った。


妹の雲はどれか? 細胞までも知っている。
三ヶ月前まで生きていた、この世でたったひとりの肉親。
どこにも妹の優しき形は無い。


1999年初冬。
三通の手紙が届いた。
那珂川学園理事長、高村一蔵殿。
常央大学学長 市島典孝殿。
社会福祉法人のぞみ園園長 菊村夜太郎殿。
内容は三通ともに、同じであった。


ご賢台
朝な朝な霜を見るころとなりました。
さて小職、思うところありて、修行の旅に入る事とあいなりました。
善を追求し、悪を駆逐する御霊の力を、この身に発芽させる旅です。
尚、妹の件は一切関係ありません。
我がままを、何卒ご海容下さい。
                            菊村 貢



汚れた消しゴムで何度も書き直したような自筆。
ぶっきらぼうの彼らしい、と三人は微笑んだ。
―――いいように、するがいい。力をつけて戻って来い。



「菊村先生が出勤されなくなって、6日。いったいどうしたと。何かあったのでは
あるまいか?」
常央大文学部史学科助教授、菊村 貢。
剣道部の部長でもある。
学生、教師などから、そろそろ行方が懸念される声が上がった。
学校に連絡は一切ない。
人事担当理事が部下に菊村の電話番号を調べるように指示した。
仕事が速い。
パソコンから、人事ファイルを抽出し、プリントアウトすると、理事に渡し「空欄
です。固定電話はありません、勿論携帯も持っていませんね」と首を傾げた。
仏像のような細き瞳に丸刈りの頭の写真。一見柔和な僧侶のように見えるが、
角度によって様々な表情が浮かび上がる。
「住所は?」
茨城県難台山1番地1・・・?」
「何だねそれは? 市町村名は無いのか? 難台山とは、いったいどこか?」
「あんたら、それでも茨城県民かィ? ホラ、あの山だっぺ・・・生を受けた、
山だよ」
鼻くそをほじくりながら、副理事長の森内幸男がゆったりと入ってきた。
「あ、おはようございます。・・・もしかして、笠間あたりにある、森のような
山ですか?」
若い人事担当も、噂では知っていたが、冗談に決まっていると思っていた。
そう、菊村貢、愛の兄妹は、絶滅したはずの日本狼に二歳まで育てられたと
いう。
天下りの人事担当理事どのもご存知のように、理事会が明日あるよ。那珂川
園の中間決算の報告会だがね。その席で菊村君の件も話題になるだろうよ」
頭に野球帽。スーツを纏った好々爺がひとつ咳をした。