箱舟が出る港 第二劇 三章 常央大学

欅、ブナ、松、杉などの樹木。
生い茂る草花、岩、石、土。
菊村愛は過去をコンピューターの中で再現するために、界隈に棲む細胞を全て
採取し終えた。
兄、貢とともに捨てられていた茨城県難台山。

研究から十年という長い歳月を擁し、いつしか愛も常央大学の四年生になって
いた。


子供心に愛は言ったという。
―――めだまなんかなくったって、生きているかぎり、しぜんをぜんぶみてい
るんだよ。ちきゅうはみいんな、しってるんだよ。


造形ではない。勿論哲学でもなく、詩でもない。
そこに親が居ただけの話だ。
引いた愛の血。赤い糸の中で手を繋ぐ。
両親も感性が鋭かったのだろうか?



古今東西の抽象的な宗教の教えをもインプットする。
物質界と精神世界の知りうる限りのデータを入れた。
過去を今、再現するという。
この研究が完成すれば、例えば難解な殺人事件の犯人など、すぐに捕まる。
幽霊を呼ぶ研究だ。過去に戻る乗れないタイムマシンといってもいい。



命名、メモリアルプログラムは、完成の一歩手前で頓挫していた。
―――データフソク、データフソク。ナベシマジケイノジョウホウヲイレテク
ダサイ


鍋島慈形なる異能力者が居るという。
精神世界へ飛翔出きるとの噂、地元では高名な僧侶、あるいは神官であった。
―――この人に会わなければ
愛はコンピューターの答えに迎合した。


プログラムが教える。
―――データフソク、ナベシマジケイノジョウホウヲイレテクダサイ。
ナベシマを考える都度、何故か乳頭が勃起している。
濡れもする。
まだ、処女。
両親の営みが、私を包んでいるのかも知れない。
愛されて、生まれたと。
兄の貢も言うが、憎くて、邪魔になって捨てられたのではないと。
それははっきりと断言できる。
只者ではない、常人ではない。
介するナベシマとはただの宗教家ではない事は確かだった。


ソフトはコンピューターの中におぼろげな四体の人が浮かび上がらせた。
真っ黒な人体が、兄と私らしき者をおんぶして、山を登って、いる。
闇が剥がれない。負ぶう者の顔が見えない。
闇夜でも目が慣れれば、ある程度は人の人相は識別出きるというのに。
市販されている全ての画像処理ソフトを併せもしたが変わらない。


―――ナベシマジケイ・・・

数えきれないほど訪れた、宍塚大池にある無宗派慈門寺。
「留守です」
いつもいるのは、小柄で貧相の寺男だけだった。


「今日こそは!」
愛は月夜の夜を、水戸から土浦へと、車を飛ばした。




社員寮。
何階か分からないが、穴が空いている。
新入社員らしき寮生が棲む。
見た顔があったが、いつ会ったのか覚えていない。
四人の敵が居た。
山口博は俺を追い詰めた会社の幹部の抽象的な顔だと思った。
白髪でてっぺんあたりが薄い眼鏡がガンを飛ばす。
短めの若い顔は、同族企業の役員であった。
残りふたりは、水墨画のように、陰影は濃いのだが、見事さがなかった。
パンチを繰り出す短めの若い男。
簡単にかわす山口。
倒してやろう!
倒せる!!
場面は変わり、実家にパラフィンが被っている。
葬式だととっさに思った。
誰の?
実の母親であった。
風が鳴り羽目板が、コトンと外れる。
マネキンの首がこっちを見ていたが、母だとは認識出来なかった。
するとどうやら、母ではなく、銀行員の兄のようだと知る。
胴体が切断された兄の内臓たるや、イカ飯の中身のようで、どす黒いそれが、
にょろと飛び出した。
特大サイズのズボンを履いた医師の尻が小さい。
のろのろと、よたよたと、ブカブカのズボンを履いた医師が「お前の肉親は
死んでいる」などと、ぶざまな格好で呟く。


覚めろ!!
はやくッ!!


これは夢だ思ったせつな、棺に入れられた事を山口は知った。